1. 随筆
  2. 424 view|最終更新 20/05/28

【三十分一本勝負・第二回】正義の暴走。

本記事は、記事執筆時間にリミットを設定し、時間内で一本を書き上げます。設定時間は三十分。取り繕う時間を削ぎ落とし、ダイレクトアウトプット。ミナ押したときに五時があっても秀誠できませんが、

・内容の構想
・タイトル等の記事設定
・この前置き文章

は時間に含みません。勢いばかりでまとまりがない思考の塊を、電脳世界にぶん投げます。過去および未来の同じ取り組みは「三十分一本勝負」カテゴリにございます。

というわけで、ひさしぶりの第二回、さっそく参りまする!

 


テレビでは「自粛警察」などと呼ばれますが、行き過ぎた行為に走る人の存在が取り沙汰されています。警察なんて表現は彼らの自尊心を満たすだけなので不要ではと思いますがさておき、これの重要なポイントは、本人は正しい行いだと信じ込んでいる、原義通りの「確信犯」なこと。

ところで、正しいってなんでしょうか。正義ってなんでしょうか。アインシュタインは「常識は十八歳までにコレクションした偏見の塊」的なことを言いましたが、正義だって、それと大差なさそうなんですよね。

早速脱線しますと、私は「ポリシーがないのがポリシー」でした。これといった主義主張をしないように、と。あらためて考えれば、これは「”自分なりの正義”を持たないようにする」姿勢なのですね。手垢のついた表現ですけれど、正義の反対は悪ではなく、また別の正義です。漆黒の反逆者でも描かれましたね₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎私達にも、彼らにも、それぞれの正義がある。

自分の正義を掲げれば、誰かの正義と相対する事態を招きます。それを回避するために、自らの正義を敢えて掲げず、のらりくらり。良くいえば平等で、悪しくいえば八方美人。そんな振る舞いを何故してきたかといえば、人は正義に酔ったとき、果てしなく残虐に、どこまでも苛烈になれるからです。ならば正義なんていらないと。あるいは、人は悪を為すために、自らは悪ではないと自己暗示するために、正義を掲げるのかもしれないと。

侍のジョブクエストでは、正義や大義といった表現が頻出します。なので、当初はあんまり肌に合わなかったんですね。でも、肥大化させず、手のひらや胸のうちだけで制御できるならば、なんとか扱えるかもと思い直しまして。つまり、自分なりの小さな正義を持ってみようかな、という。もちろんこれが破滅の第一歩になる恐れはあって、少しでも怪しくなれば手放すつもりです。暴走してしまえば、それはただの狂気、凶器なのですから。

……正義を口にするなら、それくらいの覚悟が必要だと思うんです。なればこそ、身の程を知ることが大切。「世のため人のため」は、私にはスケールが大きすぎます。手の届く範囲で、手を差し伸べられる人にだけ、自分のできることだけを、自分の責任と自負のもとで行使していこうと。そう考えると、私は世界を救うヒーローには向いていないんですよね。

でもまあ、そういう人がうっかり世界を救ってしまうのも面白そうなので、これからもうっかりちゃっかり冒険していこうと思う拙者でございました!28分!

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