1. 838 view|最終更新 21/10/18

ウゲツ一派は本当に「攘夷派」なのか。

侍ジョブクエストに登場する敵役、ウゲツ。彼が率いる一派は武力による幕府転覆を目論んでいましたが、一派の呼び名は「攘夷じょうい派の侍」でした。これほんとに合ってるのかな、の記事にござる。結論を先に申せば、

「攘夷派より討幕派では?」

です。以下はその論拠にござる。

ウゲツの主張

ウゲツ一派の首魁、ウゲツの主張は以下です。

「ひんがしの国」はな……太平の世が続きすぎた。世を統べる者は志を失い、怠惰に時を過ごし、腐敗を極めている。最早、幕府を討つことでしか、この国は変えられぬほどにな……。この国を変えるには、もう一度、乱世に戻すしかないのだ。その戦乱から新たな世が生まれるというもの……。偽りの平和を終わらせ、やがて来る真の太平のため、群雄割拠の世で刀を振るう……それこそ、侍の本懐だとは思わぬか?

彼らは、腐敗した幕府の討伐により乱世を招き、その群雄割拠が新たな世を生み出すのを欲しているとのこと。そして、そこから先に何か深い考えがあったのだとしても、これ以上は他でも語っておらず、単純に純粋に幕府を倒したい!の主張に終始します。では、これが攘夷思想なのでしょうか。

攘夷とは

幕末の思想・運動で、端的には排外主義です。尊王論と結びついた尊皇そんのう攘夷をご記憶の方は多いかと存じます。元は古代中国の思想で、自国を中心にした四方の非支配民族を 東夷とうい / 西戎せいじゅう / 南蛮なんばん / 北狄ほくてき四夷しいと蔑んだのが発端です。夷は弓を構えた人の象形なので「未開の戦闘狂野蛮人ども」程度の意味になります。つまり、渡来人やら南蛮人やらはそうした性質であり、神国の御為に=ははらうべきだとの主張です。

「攘夷」の意味はそこまでで、幕府をどうこう等はまた別の言葉や定義に頼る必要があります。

長い余談:小攘夷と大攘夷

攘夷思想の端緒は水戸学吉田松陰とされますが、源流は藤田幽谷の「中朝事実」に遡ります。これは歴史書の体をとりつつ、先述した中華思想を換骨奪胎し、日本こそが中朝で覇権たるべきだと説いたものです。攘夷論とは、そうした意識の上に醸成されたのです。大なり小なり自民族中心主義エスノセントリズムが下地なんですね。

欧米列強の進出による小競り合いの発生から萌芽した攘夷論 in 幕末ジャパンは、ぺるり提督下関戦争などで圧倒的な戦力差を突きつけられた結果急速に発展し、今すぐ総力反抗せねば亡国だと主張する「小攘夷」と、一旦は開国交易を認めて富国強兵に勉めたのち反攻すべきだとする「大攘夷」に分派します。

小攘夷派からすれば大攘夷派は圧力に負けて開国するヘタレ、大攘夷からみれば小攘夷派は欧米列強の脅威を認められぬバカです。どちらも最終目的ははらうことながら、その時期と手段が食い違ったのですね。小攘夷派は欧米列強の植民地支配に危機感を抱き、多くの血が流れようと即時抗戦すべきと考え、大攘夷派は一時的に屈することになろうと、追いつけ追い越せで捲土重来を果たすべきと考えたわけです。

ご存知のとおり、最終的に日本は急激な近代化を果たしました。しかしそこに、中朝事実がベースの思惑があったなら。富国強兵を遂げ、満を持して念願を成就せんとした大攘夷思想が、日露戦争、日清戦争、満州朝鮮の併合、そして第二次大戦へと日本を突き進ませたのではと考えてしまいます。乃木大将が自刃の直前、幼き頃の昭和天皇に中朝事実を献上していたことも、帝国軍攘夷思想の傍証ではないでしょうか。

だいぶ時代を進めてしまいましたが、この視点で考えると、いわゆる尊皇攘夷と公武合体こうぶがったいという対立軸は不適当となります。尊皇攘夷も公武合体も、外敵排撃という大目的は一致していて、いつどのように成し遂げるかの違い。もちろん大義名分だけでない利害もあったでしょうが、いずれにしても水戸学や国学が興り、自民族中心主義が蔓延したこと自体がターニングポイントだったのでしょう。

……まとめると、攘夷思想とは排外主義です。(振り出しに戻る

討幕とうばく (倒幕) とは

同じく幕末、幕府を倒して新しい体制を創るべきとする思想が勃興します。特に下関戦争後に広まったとされますが、なかでも武力での解決を訴える者は討幕派と呼ばれました。攘夷を達成するために討幕派となる、でニュアンス伝わるでしょうか。討幕派と対をなすのが幕府を補佐する佐幕さばく派です。

佐幕派にも程度の差が存在し、従順な場合もガンガン物申す場合もありましたが、討幕派との違いは、まがりなりにも今の世は幕府あればこそで、改革を志すにも幕府の存在は不可欠と考える点です。そしてこの討幕と佐幕の関係、攘夷どうこうはガッツリさておき、まさにウゲツ一派と赤誠組の構図なんですね。

よって

× 攘夷派
○ 討幕派

(ृ ‘꒳’ ृ)攘夷ではござらんくない?

攘夷派が正しくないと考える理由は

尊王攘夷の手段として倒幕が選択肢のひとつだった攘夷派と、通過地点であろうと討幕を必達としたウゲツ一派は主義が異なるためです。

攘夷派とは、外国勢力の払拭や掃討を望む者たちを定義する言葉です。彼らの目的は攘夷であって、はらえるのなら幕府の存亡はどうでもいい。余談で触れた大攘夷派はまさにそれで、倒幕は攘夷を果たすための手段に過ぎませんでした。ウゲツ一派は討幕が必須である以上、齟齬があります。

討幕派のほうが正しいと考える理由は

ウゲツ一派が討幕しか唱えないからです。その先はなんにも語られません。

幕府を倒すのは乱世にしたいからだし、乱世にしたいのは群雄割拠で活躍したいからです。民草の犠牲や乱世に陥った際の帝国の介入予測など、現実的な思想の欠如した理想論は、ただただ討幕を夢見ただけと断じられるのが残念ながら当然です。政治的な主張がなんにもない以上、彼らの目的である討幕を冠するのが精々ではないでしょうか。

攘夷派と称された理由は

ウゲツの仲間だと示すためなら「ウゲツ派の侍」でも良いわけです。何故、あえて攘夷派としたのか。開発スタッフの意図を推測するほかありませんが、下のどちらかと考えます。

1. 語られないだけで攘夷論を掲げていた説

₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎語って?

ジョブクエストの尺で大風呂敷を広げられないのは重々承知ですが、赤誠組屯所に乗り込んだ際の長台詞で攘夷論者の描写をすれば伝わります。帝国を外圧=夷と考え、それを排せない幕府に業を煮やした線もありえますが、であればウゲツが語るのは幕府の腐敗や汚職ではなく、帝国に対する幕府の弱腰批判や帝国への敵意になるはずです。

また、ウゲツを含む一派が害したのは単に幕府の要人としか語られておらず、攘夷派としての粛清に値するペルソナかは伺えません。純粋に幕府を攻撃しただけに思えるというか。被害者たちは開国派だった、とかならそれこそ語ってほしいでござるぅ。

2. 攘夷って反体制の響きあるじゃん

わかる。旧態依然への熱い挑戦な感じありますよね。きらめく光!弾ける汗!飛び散る臓物!みたいな。

ほかに相応しい呼び名はあるか

攘夷派と討幕派以外にあてがえそうなのは以下のふたつと考えます。

1. 改革派、革命派

彼らが標榜するのは暴力革命ですから、無難と思います。侍ジョブクエスト登場人物としての独自色は薄まりますが、体を表さない名は間違いですしね。

2. ウゲツ派

扱いの難しい既存概念ではなく、単にウゲツのシンパだとするものです。正直、私は彼らがこう呼ばれるものだと思っていました。コレでなかったので違和感を覚えて、検討した結果がこの記事です。

まとめ

今回述べたのはあくまで現実世界での用語と概念であって、ハイデリン世界でも同一とは限りません。「攘夷」という言葉の意味が異なる可能性もあります。……悪党成敗 クガネ城にて原義通りの攘夷派が登場するので、その逃げ道はちょっと厳しそうですが。

モブキャラの名前がちょっと違うかも?くらいのお話ですから、さほど重要なことではありませんが……こういうのを見つけて深堀りしてみるのも楽しいものなのです、ということで何卒!

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コメント

    • 匿名
    • 2021年 10月 24日 6:49am

    攘夷派の中に人斬りウゲツが紛れ込んだって解釈すればなんとか筋は通りますかね。

      • 松乃雪
      • 2021年 10月 24日 11:09am

      なるほど確かに、攘夷派を討幕に利用しようとしたのであれば筋は通りますね!

      ・ウゲツが攘夷論陣営に紛れ込む
      ・大攘夷の強硬派筆頭として討幕を煽り訴える
      ・勢力を拡げて手駒にする

      という流れなら、周囲が「攘夷派」と表されるのもおかしくありませんね。陣営では適当に討幕後の話にあわせながら、実際は討幕さえ出来れば良く、赤誠組屯所での話はその発露だったとも考えられます。
      そうすると、ウゲツ敗北後に赤誠組 (あえて言えば小攘夷派) へ複数合流したことあたりにも理由が欲しくなりますが、そうした改革派は結構夢見がちな方もおられそうな印象ですし、それはそれで……なんて投げっぱなしでいいのかもしれません₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎

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