オンラインゲーム、現実社会とは人と人の繋がり方が違います。
インターネット技術に基づくそれは、物理的・精神的に隔たれた者同士で、空間を共にできる点が特徴です。
私は、この特徴をとても魅力的に思っています。
国籍も性別も社会的属性も違う、されど同好の士との一期一会。
それらを「余分」と呼ぶべきかはさておき、各人の現実社会ラベルを取り払い、自分そのもの、その人そのものと歩みや交流が紡がれる場所……なんとも得難い空間です。
と同時に、その特徴がときに辛さや悲しみを生むことも往々にしてあります。
オンラインゲームとの付き合い方と同程度に、オンラインゲームでの付き合い方も重要なのです。
本日は、その付き合い方の一例をすこし。
単純な年数では、そろそろ十年ほどになるでしょうか。
この十年でお互いに色々変わった(と思う)けれど、変わらないものがひとつ。
「お互いのことをそんなに知らない」
FFXIVを始める前にプレイしていたPSO2で、私が作ったチームに参加されたおふたり。
当時からブログをしており、チームという枠に囚われず各自で楽しもうね、が方針でした。
実際、不意に目的が合ったとき以外、チームイベント的なものは本当に何もなし。
その後、まず私がふらっとエオルゼアに降り立ち、気づいたら冒頭画像のおふたりもふらっと。
が、私は当時GaiaDCのYojimboでプレイを始めた一方で、おふたりはManaDCで開始。
なかよしチームなら同じサーバやDCを選んだのでしょうが、この距離感もまたよい。
でもMeteorDC創設でまさかの合流という。けど別にFC作ったりはしないという。
お互いに通話先は知らないし、性別や年齢もふんわりとしか知らないし、Twitterくらいしか知りません。
仮にオンラインゲーム上の交流が途絶えたら、ともすれば切れかねないくらいの淡い繋がり。
でも、だからこその程よい距離感と温度感で、長く続くかたちのひとつなのだろうなと思います。
深く知ることだけではない、深く知らないからこそ生まれる慈しみ、尊さの価値。
そうした意味では、ブログを書く私と、お越しのあなたとの関係もそうなのかもしれません。
私がこのブログを終わらせたり、あなたが見るのをやめたときに途絶える縁かもしれません。
なんならコメントやweb拍手等がなければ、私としては知覚も難しい縁ではありますが。
でも、その仄かなつながりの存在……を時折感じることこそ、ブログを書く理由なのかなとも思います。
各人の現実社会ラベルを取り払い、自分そのもの、その人そのものと歩みや交流が紡がれる場所
なかなか味わうことの難しいそれをもたらしてくれる場が、私にとってのオンラインゲームです。
もちろん、主催するイベントごとのように熱と勢いに乗っかるのも好みですけれどね!
なにを楽しむかと同様に、どのように楽しむかも大事。
そのために、ゲーム、仲間、諸々との距離感をどう取るかが大切ですね、と思う拙者でございました!
こんばんは。まとめサイトから来まして、なかなか共感できる記事でしたのでコメント差し上げます。
自分はネトゲ歴20年近くになりますし、FF14も僭越ながらベータテストから遊んでおりますが
この『距離感』という部分がかなり変わってきたなぁと良く思います。
ネットとリアルを分けて考える人、そうではない人、様々だと思います。
自分の場合はおそらく松乃雪さんと異なり、お互いを良く知らない関係=浅い関係、適当で雑な関係と思いがちです。
しかし、深く知れたから親友なのか?と問われてもやはり違うのかなと最近では良く思います。
他人依存せず、知らないところは知らないまま……そんな素敵な関係を築けたらいいなと共感しまして、自分も勉強させてもらいました。
なにを書きたかったのか分かりませんが、これからもエオ生活堪能してくださいね!失礼します。
コメントありがとうございます!
おっしゃるとおり、スカイプやDiscord等がなかった時代からは隔世の感がありますよね。
そうした不自由さをどう捉えるか、とも言えそうです。
人付き合いの濃淡はそれぞれの好き好きがあり、そのいずれもが正解かなと思います。
誰かの家に集まってみんなでゲームしているような雰囲気や環境を構築するのもよいですし、
今回書いたような、ともすれば希薄にも見えるけれど心地よい距離感もよいですよね。
自分が望む付き合いの距離感を把握して共鳴する同志を探すのも、
文中にあるような「何を楽しむか」を軸としてもよいものと考えます。
そして、どんなスタンスであっても最も大切なのは、
書いてくださったように「他人に依存しない」ことかなと思っています。
自立・自律し、楽しい歩みにしていきたいですね!