1. 随筆
  2. 7024 view|最終更新 20/11/10

エオルゼアにおける「信仰」について。

スピリチュアルなアレではありませんのでご安心めされよ₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎

グリダニアの精霊やイシュガルドの聖教、ウルダハのナルザル教やシャーレアンにおけるサリャクの渦巻など、エオルゼアには多様な「信仰」がみられます。後述しますが、現実世界よりも信仰や祈りが身近なのでしょう。

現実世界でも「信仰」に基づいた価値観をよすがに、国体や集合体が形成されることはあります。キリスト教的価値観で侵略(彼らにとっては奪還)を目論んだ十字軍、イスラムの教義(を我田引水した価値観)によって世界を征さんとした ISIL は好例でしょうか。というわけで、現実世界の知見も拝借しつつ「ハイデリン世界の信仰」のおはなし。まずは、信仰の定義から。

信じ仰ぐこと。

信仰。「信じる」「仰ぐ」の熟語で、とりわけ「仰ぐ」が重要な要素です。「仰ぐ」とは、自分より大きな存在を見る際にする動作です。つまり目上、格上、大いなる存在を仰ぎ見、信じることが信仰です。言い換えれば信仰した時点で自らは対象より低くなります。もちろんだいたいは神様などの高次存在が信仰先ですけれどね。

そして、信仰と宗教は密接な関係を持ちます。宗教とは、大いなる存在から人生の標を読み取ってより良く生きる、あるいは来世等々に望みを託す器です。現在ほど各人の「個」が尊重されていなかった時代は、集団生活を営むための共通規範としても機能しました。同時に、教義からの逸脱者を攻撃し排除する側面も。

宗教との関係

大いなる存在をみんなで仰ぎ、大いなる存在の言行録こそ正しいと信じる営みが宗教。では、なぜ宗教を信仰するのか。死んだと思ったら生き返ったり母親の脇から生まれた存在を仰ぎ奉るのか。私の持論は以下です。

  • 「集団生活」をする上での効率化
  • 意思決定や判断基準のアウトソース化
  • 満たされない精神的欲求の充足
  • 小さい頃からの刷り込み

ひとつめは先程お話しましたので割愛。ふたつめも言わずもがな、宗教は解釈の宝庫です。遺された言葉を都合よく解釈する余地がいっぱい。自分で答えを探し回らなくても、答えっぽいモノが見つかるんですね。ある意味で非常に合理的です。みっつめは色々なアングルがありますけれど、既存の社会、既存の生活、既存の仕組みで満たされない人が、新しい価値観を提供してくれる宗教に惹かれるわけです。そして、宗教のある人生こそ当然と学習してきたなら、信仰を持つのも自然なことです。

これまで宗教を信仰していなかった場合、特にみっつめにひっかかりがち。ひっかかる、というと宗教が悪いモノのように聞こえますがそのあたりはさておき、たとえ何千年前のモノであっても、人間の営みですから、何かしら琴線に触れます。そこが入り口となり、ふたつめに行きついて自らのなかで宗教への信仰が定着し、場合によって宗教内のコミュニティ論としてひとつめにまで強化される、なんてケースは比較的標準なのかなと考えています。

ほかにも色々表現はありますが、そんな感じの成り行きで、現実世界の人は信仰を持ちます。では、エオルゼアにおいてはどうか。

グリダニアの信仰

グリダニアは、特定の神ではなく「精霊」を信仰します。精霊は大地と豊穣の女神ノフィカから分かたれた存在とされ、間接的にはノフィカ信仰といえるのかもしれませんが、政策を決めるのは精霊の声を大いに反映する「精霊評議会」であり、あくまで精霊推し。

いろいろおられる他の神様たちと異なり、精霊は実際に干渉してきます。信じる信じないではなく、実際に「いる」んですね。グリダニア建国前、精霊と交感できなかった頃は、精霊からの攻撃を受けるため地表に住めなかったという記録が残るほど。抽象的な教義ではなく具現的な実感、信仰というよりは生活基盤の域で森都に根付いていると感じます。個人的には、いちばんファンタジー感のある宗教観ですね。

リムサ・ロミンサの信仰

海洋と航海の女神リムレーンを信仰しますが、信仰しないことによる迫害なども特にないため、各個人の好き好きだそうです。出港前夜、信心深い者は女神に安全を祈り、そうでもない者は酒盛りでもするのでしょう。ただおそらくは、ベース部分の「女神リムレーンを信奉する」水準は高いような気がします。船乗りが験担ぎに熱心なのは古今東西かわりませんからね。

彼らは「海」という大いなる自然に飛び込みます。荒れ狂う海上で人ひとり船ひとつができることは限られており、有り体にいえば、どうしようもない事態と隣合わせですから、「験担ぎ」にいきつく気持ちはよく理解できます。そういう意味で「熱心」なんですね。そのうえで、自分たちの舵ひとつ、帆ひとつ、剣ひとつが命運を左右するのもよく理解しています。神様のご機嫌は伺うけれども神頼みではない距離感と温度感。

ちなみに現実世界でも、船霊媽祖イシス信仰など、海洋の守護神は女神であることが多いです。そのため、女神が嫉妬しないようにという名目で女人禁制だったりした時代も。狭い船内での治安風紀やら腕っぷし的な理由の婉曲表現かもしれませんが、そういう部分にも験担ぎ要素を噛ませるのは興味深いですね。

ウルダハの信仰

ストーリーでは富と力と謀のお話ばかりなサツバツシティ=ウルダハは、初期三国で唯一「教会」を持ちます。地底と商売の男神ナルザルを「ナル神」と「ザル神」にわけて信仰しており、ナル門とザル門などの地名がみられるほか、砂蠍衆にも教団トップが在籍しており、国内では盤石な地位を築いています。

手元の資料に明記されていないため国教指定かは定かでありませんが、政治的影響力を含めた存在感は大きく、ウルダハの民にも広く認知されているのは確かです。それでもさほど宗教的な印象がないのは、信仰を軽んじているというよりは「信仰よりも大事な現実がある」といったところでしょうか。関西圏における「えべっさん」のように、尊重しているけれど普段からべったりではなくて、ええ塩梅のとき (※商売繁盛祈願など) にススッと寄っていく的な。経済的な発展も風潮に拍車をかけているかもしれません。

アルダネス聖櫃堂に集う信徒を見るに、貧困層ほど信仰心が篤いとか、宗教があるから自分は貧困ではないと語る貧困層が多いとか、そういった側面がナルザル教団には含まれている気がします。現実世界では、経済活動や公共福祉ではカバーしきれない部分のセーフティネットとして宗教が注目を浴びており、ウルダハに押し寄せる難民問題と絡めて表現されているのかもしれません。ちなみに、アルダネス聖櫃堂は来世利益を司ります。対するミルバネス礼拝堂は現世利益担当で、こちらは富裕層の支持が厚かったりします。そのうえで、アルダネス聖櫃堂だけが現在復興されているあたりに、信仰の篤さの違いなどが垣間見える気がしますね。

イシュガルドの信仰

イシュガルド聖教が支配する宗教国家がイシュガルドです。聖教への帰順は彼の地で生きるうえで必須。戒律を破れば「異端者」と呼ばれ、命を狙われます。中世欧州の魔女狩りおよび当時の支配構造がモチーフになったものと推測できます。結果的に聖教の欺瞞は明らかになるのですが……聖教の帰趨は今後の展開に委ねるとして、イシュガルドの民はこれからどうなるのか。

ドラゴン誅すべしという価値観が千年に渡り染みこんでいた以上、そう安々と割り切れるものではありません。宗教の効果はまさにそれで、規範やモノサシを拝借できると同時に、教義に縛られてしまうのですよね。そして、親も友もドラゴン族との「聖戦」で失った以上、感情的にはどうやったって仇敵です。個人的には、そういった庶民感情的な部分でドロドロした鬱屈が潜んでいて、いつか噴出するのでは、と危惧していたりします。アイメリクが暴漢に襲われましたが、アレのもっと規模が大きなやつ。

だって、戦争が終わっても、いなくなった人たちは帰ってこないんです。戦争の根拠が誤っていたからと、すべてを白紙にすることもできません。そうしたとき、頭で割り切れないとき、宗教という存在が用立てられる (第一世界の信仰を参照) わけで、そんな方向にイシュガルド聖教もシフトするのかもしれません。

アラミゴの信仰

破壊と流星の壊神ラールガーを信仰する星導教が最大勢力でした。が、徐々に政治的影響力を強めていた星導教は「廃王」テオドリックに危険視され、粛清を受けます。そのうえガレマール帝国による侵略と圧制を許し、信仰を禁じられてしまいます。ダブルパンチで一気に瓦解してしまったわけですね。現在はなんとか自治と文化を取り戻したものの、解放直後ということで復興への道は遠く、星導教そのものの全貌も明らかではありませんが、こちらもいずれ動きがあるのかもしれません。

個人的にですが、比叡山延暦寺っぽいイメージを受けます。厳しい修行を実践する僧兵と、焼き討ちの歴史。そして、修行に勤しむモンク達の思惑とは別に、肥大化した教団内部の指導者層は慢心、権力志向が暴走して粛清のトリガーを引いてしまったのでは、と。最終的にサウジアラビア風の宗教国家を目指していたのかなと考えたりします。結局は、テオドリックと帝国により国家もろとも滅んだわけですが、星導教が実権を握った世界線も見てみたくあります。

ガレマールの信仰

帝国においては、野蛮な信仰が「蛮神」を生む要因になっているとして、宗教が完全に否定されている。生粋のガレアン族市民に限って言えば、ほとんど無神論者ばかりだ。 宗教とは、古来よりまじないや魔法の類と密接に関わりながら発展を遂げて来た。逆説的に魔法を不得手とするガレアン族の社会では、宗教が発達しにくい環境にあったとも言えるだろう。
– Encyclopedia Eorzea P.176

ないです₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎全否定。

とはいえ、明確にガレマール帝国の内部は描かれておらず、詳細は不明です。宗教そのものの弾圧と否定があるのは確かでしょうけれど、これまた実態が気になるところです。実態なき「神」にではなく、魔導など「技術」に対する信仰、執着のようなものはあるかもしれませんね。いずれにしても、無神論者が多数を占める社会ではありそうです。

ちなみに、特定の宗教を信仰しない日本人を無神論者と表現する方もいますが、正確には無宗教が近く、だいたいの日本人は神道と仏教のハイブリッドがベースです。無神論者というのは、積極的に神様やら仏様を否定するタイプですので、ハロウィン (ケルト神話) ののちクリスマス (キリストの生誕祭) からの正月に初詣 (神道ないし仏教) というムーブは無宗教が極まった無節操さで、とてもよいと思います。せっかくならイスラームの何かを取り込んでメジャー宗教全制覇したいところですが、ラマダーンは飲食店が困っちゃうからむずかしいかな!などなど、脱線はこれくらいにして。

シャーレアンの信仰

「知識の集積者たれ」という使命感によって集まった人々が、その手段として国を興したという特殊な経緯があるため、守護神として知神サリャクが掲げられてはいる。しかしそれは、信仰心というよりも、むしろ思想信条に近しいものといえよう。そのため、宗教行事に重きを置かれる訳でもなく、他の十二神を守護神とする市民も少なくない。
– Encyclopedia Eorzea P.176

リムサ・ロミンサに似た距離感ではありますが、「シャーレアン社会は宗教の必要性がない」というほうが肌感覚はしっくりきます。「神とは?」「信仰とは?」みたいなやりとりをするのが彼らシャーレアンでしょうし。ただ、そういうタイプほど宗教にどハマりして狂信者となる印象もあり、案外過激な思想や新興宗教もあるのではと思っています。何ブライトさんとは申しませんけれど!

ガレマールが無神論だとすれば、シャーレアンは無宗教でしょう。くわえて「知識の集積者たれ」の度合いにもよりますが、文化・知識保存の一環として、各宗教の行事などが行われているかもしれません。やっぱり実際にやってみるのが一番ですしね。各地の神社仏閣が数十年単位で遷宮や立て直しがあるのは、次代の宮大工に知識を受け継ぐためもあると言います。同様に、知識の集積者たるための実践が行われているのでは、という推測。

ひんがしの信仰

エオルゼアから物理的に離れた別の文化圏ですが、信仰もまた異なります。万物に神が宿る「八百万の神」思想が主流で、古日本風、神道の形態に近いと考えられます。特に印象的なのは碧のタマミズに暮らすコウジン族「碧甲羅」でしょうか。ただ、付喪神もある意味でエーテル的な現象と表現できそうですから、根源の部分はさほど違わず、捉え方の差だけなのかもしれません。

アジムステップに住まう草原の民は、各部族ごとに様々な伝承や信仰をもちます。こちらは分類するのも難しいほど独自に発展かつ多様なためここでは割愛します。輪廻転生を強く信じるドタール族、言い伝えを守り洞窟で暮らすウヤギル族、馬と結婚するゴロ族などがオススメですが、やはり一番「信仰」に身近なのは、ストーリーでも深く関わったモル族でしょう。壮大な目標からその日の晩ごはんまで、シャーマンが伝える「神託」によって生きる部族です。神託のせいで無意味に釣り上げられるお魚さんもいます。

第一世界の信仰

こちらもエオルゼアではなく……というか世界すら別ですが触れておきましょう。光の氾濫以前、光の神を奉った「光耀教会」が信仰を集めていたものの、氾濫以後は急速に廃れたとされます。そのなかで生まれたのが、闇を奉じる「夜の民」。特定の神を信仰するのではなく、闇夜を尊び、それを根幹とした規範と価値観を共有する集団です。以下のように「信仰は無意味」と悟りし人々のとった行動が違うかたちの信仰であったことは、第一世界がそれだけ過酷な環境であることを感じさせます。

最初に「夜の民」となった人々の心には、ずっとずっと、焼きついていたのさ。目の前で無残に消えた、愛する人や故郷のことがね。氾濫以前はいろいろな信仰があったけれど、そのどれもが、光に呑まれたり、罪喰いとなって死んだ者の魂が、どうなるかなんて示せなかった。だから、人々は、今の時代なりの信仰を……命の答えを、探そうとしたのさ。

冒頭でお話した「なぜ宗教を信仰するのか」を裏付ける一例といえます。答えが見つけられないから、大いなる存在に託す。悪く言えば思考の放棄かもしれません。ただ、それは人の弱さには違いないけれど、同時に強かさでもあると思うのです。標のない世界だからこそ、なんとか共有できるものを見出して、身を寄り添いあって生きていくための手段。折り合いをつけるための信仰。

エーテルと蛮神

……ここまでだいぶ長くなってしまいましたが、各地の信仰をご紹介しました。様々な形態、深度、重みがあることはご理解いただけたかと思います。そしてエオルゼアやハイデリン世界の特徴……「エーテル」の存在は、かの地の信仰を語るうえで大きなポイントです。

帝国のくだりで触れたように、蛮神は信仰から生じます。蛮神はいわば信仰の具現であり、信仰……ひらたくいえば祈りや想いを燃料や触媒とします。それら思念はエーテルとして放出されるのがハイデリン世界であり、放出されたエーテルはシャードやクリスタルとして物質化もします。エーテリアル装備など、所有者の残留思念が影響を与えているとされる品も枚挙に暇がありません。そうした一環で、蛮神なる存在も顕現=物質化するわけです。

現実世界では、いくら祈っても、物理的に何かの結晶が生じることはありません。ありませんので、そういう可能性があるものは「聖遺物」や「奇蹟」といわれます。エオルゼア、聖遺物の宝庫です。

「触媒」

祈りを触媒とし、物質や現象として顕現させ得るのがエオルゼアの特徴です。つまり、祈ることによる実効的な利益があるわけです。なればこそ祈る価値とそれがもたらすエネルギーは大きく、扱いには細心の注意が必要となります。多数の祈り、想い、願いを束ね、補助燃料として大量のエーテルを注ぎ込めば、強大な蛮神が誕生します。それを実際にやりおおせたのが、カルテノー平原におけるルイゾワであり、バエサルの長城におけるイルベルドです。再生と破滅、対極の事象である両者は、祈りの危うさを如実に物語ります。

反対に、数としては僅かだけれど、途轍もない熱量の祈りでもって蛮神を喚び降ろした事例も存在します。「超える力」を備え、歴史に隠された真実を垣間見たがゆえに、伝説を自らになぞらえたイゼル。最愛の両親の無残な死を目の当たりにし、慟哭のまま救いを求めたガ・ブ。どちらもクリスタルの力添えがあったとはいえ、単独でも神を降ろし得るのです。言い換えれば、ハイデリン世界は (良し悪しはさておき) 祈りへの報いを与えてくれる世界といえましょう。

そんなわけで

いかがでしょう。

よくわからんでござるな!

収穫はありました。わからんことがわかったでござる。いやまあせっしゃが方向性の舵取りに失敗した感はあるでござるけども。熱海へ行くつもりでベネズエラに着いた感あるでござるけども。

さておき、それぞれのケースでそれぞれの筋は通っているし、演出的な都合を含めても納得できる描写は多くあります。ただ、思念を結晶化させること、結晶を呼び水として何かを喚び降ろすことまで発展されると、なんとも徒手空拳な心持ちになってしまうのも確かです。

といって、小馬鹿にしているわけでも諦めたのでもなく、浅はかな見識で型にはめたり、わかったつもりになることを何よりも忌避すべきであるための一時停止。自分がわかっていることだけで決めつけるのは、視野狭窄による無理解のもとなのです。後々で考えればシンプルだったとしても、それは後々になったからわかることなのですから。いまは、足がかりを作るくらいでいい塩梅と考えます。

エオルゼアを含むハイデリン世界には様々な信仰が息づいており、それは人生を左右したり、日々のちょっとしたスパイスになっていたり。様々な場所で、色々な暮らしを営む人々の祈りや想いが、一日また一日と世界を作りあげていくのです。私達プレイヤーも何らかの願いや想いを抱えエオルゼアに集う一員なれば、その願いや想いが世界に還元され、いつか結実するやもしれませんね。

……はい……おしまいです……ぶんなげます……₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎

随筆の最近記事

  1. 距離感のありかた。

  2. 当面の目標を立てました。

  3. リソースの割り振りかた。

  4. 暁月のフィナーレ、発売延期について。

  5. 落ち着くスタイルと出逢うこと。

関連記事

コメント

    • ゴージイグノランティア
    • 2020年 6月 10日 8:20am

    主観の暴走なく多方面に亘る良い考察でございます!

    ???「ゴージよ、『知る』の何たるかを教えよう。知っていることは知っているとし、知らないことは知らないと認知するのじゃ」
    ・・・おや、空耳が・・・
    とまれ、吉田氏自ら「設定は後付けでいかようにも変えられる(、といった意味合いの言葉だったかと)」との言及もありまして、
    逆に申せば、クリエイターさん達の力量で、いかなるどんでん返しも起こりうるのが、エオルゼアの魅力だったりもします。
    今後も良い意味で、考察や予想をひっくり返していってほしいものですね!

      • 松乃雪
      • 2020年 6月 12日 6:37am

      おっしゃるとおりで、敢えて解釈の余地を残してあるのでしょうね。「エーテル」の存在が大きく関与する以上、解釈の余地という領域に配置せねばならない側面もあると思いますが、矢鱈と説明し尽くされるより、それなりに納得できる材料だけを渡されたほうが、各人で料理できて良いのかなとも考えます₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎この記事のように。
      この記事の概要を「無知の知。」の五文字だけとしたのは、私自身が信仰や神やエーテルについて充分に知らないと同時に、おそらくご覧の方も(概ねエーテルについて)充分にご存知ない可能性が非常に高いことを示唆できれば的な想いがありまして、そのあたりも伝わっていたのであれば本望にござる!

        • ドルゴノ推しゴ(ry
        • 2020年 6月 22日 9:25am

        推敲かな?と訝しんだら推敲だったので安心しました(何を言って(略)。
        方法論的思考停止っちゅうのも、この場合はアリですね!
        P.S.節操を弁えての無節操、とてもよいと思います

    • 2020年 6月 10日 8:29am

    「たいへん面白い話でした。しかしこのURLは…?」
    ボブは訝しんだ。

      • 松乃雪
      • 2020年 6月 12日 6:38am

      ドーモ、ボブ=サン。松乃雪です。
      イヤーッ!!ブ ッ ダ エ イ メ ン ! !

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


過去目録

PAGE TOP