※本記事は侍クエストの核心事項を扱います。閲覧注意にござるよ!
はじめに
本連載「侍の足跡」は、侍ジョブクエストを振り返り、追体験するものです。NPC の発言を網羅し、あのとき光の戦士を取り巻いた状況を、改めて確認していくのが目的。その後、私なりの感想や考察などを書き記しますので、理解の種や他山の石としていただければ幸甚に存じます。
今回は Lv56 で発生する「森都を濡らす詐欺師の涙!」です。[+] を押すと当該シーンの画像がべろんと出てきます。文字起こしはその後に。大変縦長になっておりますのでご注意くださいませ。
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侍Lv56クエスト「森都を濡らす詐欺師の涙!」
私見や考察
今回、ボリュームは少なめです。戦闘も一度で難易度も控えめ。ですが、込められたメッセージは重要なものでした。旅を共にしてきたモモジゴの前科が判明。取り締まる側の認識すら「ちょっとした詐欺」だったとしても悪は悪です。モモジゴはそれを理解し、ムソウサイもまた侍の大義にかけて悪を許しませんでした。
……そしてムソウサイが斬ったのは、モモジゴ本人ではなく「モモジゴの中にあった悪」。心中の悪を斬り捨てたのです。度々語られてきた「大義」や「刀の抜き方=刀の振るい方」に一歩踏み込んだ、心得としてひとつ高度な段階に進んだのがわかります。
ウルダハの高利貸とモモジゴは、金銭絡みで世間に迷惑をかけた点では同じです。ならば何が両者を分けたのかといえば、反省や後悔の有無でしょう。そのうえで、さほど大きな被害ではないことがわかっており、これまでの振る舞いから更生の余地ありと踏んで、
罪を償い、清き心になったら、またワシらと旅を続けようぞ。モモジゴがおらんと、困るからのう。
……と促したのです。シリーズ初回記事でも述べましたが、正義や大義とは非常に主観的なものであり、時と場合で移ろいもします。今回のムソウサイの対応は、杓子定規に考えれば「私情を挟み大義に悖る」と指弾できましょう。けれど、ムソウサイにとっての大義……真の目標は、
ひとつは、お主のような弟子になりうる才ある者を探すため。そして、目的はもうひとつあったのだ……。それは、ひんがしの国から、この「えおるぜあ」に渡った、「コガラシ」という侍を成敗すること。その者こそ、真なる極悪人。奴を斬らねば、侍の大義を果たすことはできぬ。
と明かされます。この大義を果たすには、モモジゴの存在も不可欠なればこそ「罪を憎んで人を憎まず」。罪だけを斬り捨てたのでしょう。もちろん、しっかりと反省と償いを促し、本人も校正を誓ったからこそ、であるのは大前提ですね。
機あれば刀を抜き、ただ討ち、ただ倒す……そこに正義はあるかもしれませんが、大義と安寧はないように感じます。小悪と大悪の判断、挽回や償いが能うのか。様々な要素が絡み合うものですけれど、その狭間に揺蕩いながらも太平を模索していくことこそ、侍に求められる資質なのでしょう。
そして、この裁定を目の当たりにした弟子は、師の教えを忠実に理解し、実践することとなります……が、そのお話は、また次の次。
次回、伍之巻・皇都を惑わす心中の怪!
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