本記事は、記事執筆時間にリミットを設定し、時間内で一本を書き上げます。設定時間は三十分。取り繕う時間を削ぎ落とし、ダイレクトアウトプット。更新日時=最終更新であることがポイント。皆尾したときに五時があっても終生できません。
・内容の構想
・タイトル等の設定
・前置き文章
は時間に含みません。勢いばかりでまとまりがない思考の塊を、電脳世界にぶん投げます。過去および未来の同じ取り組みは「三十分一本勝負」のタグにございます。
というわけで、記念すべき?第一回、さっそく参りまする!
いつからか言われるようになった「情強」「情弱」というフレーズ。それぞれ情報強者・情報弱者の短縮形であり、つまり情報を持つものが強者、持たざるものが弱者という認識のもとにあることばです。強者弱者という概念についての定義から始めたいところですが三十分でござるからすぱっと諦める!
私は、情報で何よりも重要なのは質だと考えます。「Information is not Knowledge(情報は知識にあらず)」とはアインシュタインの言葉ですが、ただ情報を知っているだけでは用をなしません。考えて整理して、情報に基づいた判断や評価をできるかどうか。情報を加味し活用した高度かつ高層の行動を取れるかどうかが重要です。
逆説的に、そのような行動、知識を導けるだけの情報こそが大切なモノであって、知識として集積すべき内容かどうかを判断するモノサシは、これまでの人生で培ってきた部分になります。学校のお勉強など、当時はどんな意味があるのかと思っていましたが、こういうところで活きてくるんですね。知識なるものの初歩の初歩を身に着けているから、少しずつ色々なものを測れるようになっていくんです。あぁまたちゃんと時間を作って勉強したいなというのはさておき。
つまり、間違った速報より、正しい遅報(相対的にね)のほうがずーっと価値があります。人により違う部分でしょうけれど、私は0対10で正しい遅報を尊重します。ただ、さまざまなチャネルでの情報発信がなされるようになった現代において、何が正しい情報なのかが錯綜しがちなのも確かです。遅いうえに間違っている情報だっていくらでもあります。こういう個人のブログや、個人の意見をまとめたサイトなどは特に。
冒頭のフレーズが出始めたのは、いわゆるまとめサイトやキュレーションサイトが全盛であった頃の印象があります。その頃は「速さ」に価値があるとされていたように思うんです。けれど、インターネットを含む環境の整備が進むに従い、速さの持つアドバンテージが小さくなってきました。結果、これからは質に回帰していくように思うのです。
Youtuber などのインフルエンサー文化の隆盛も、信のおける個人を見定め情報の質を確保したい利用者意識、あるいは企業などを含む発信側がそう誘導・囲い込みたい背景があったりするのかなと考えたりもします。
また、ユーザーレベルで「ファクトチェック(真偽検証)」概念が浸透するなど、作為あるデマや無作為なバカ(表現が悪い)に対する姿勢は進歩してきたように感じます。いまの時代、情報に溺れず、情報を振りかざさず、情報に振り回されない姿勢こそ、情強と表現できるのではないでしょうか。対極の、真偽不明な噂に一喜一憂し、根拠なき話を信じて判断材料とし、自分の頭で考えず他人の評価に左右される姿勢が情弱。
情報はただの情報であり、持っているだけでは意味がありません。知識でもって取り扱い、取り込み、行動として出力するための材料です。ある意味で、このブログやこの記事自体が、私におけるそうした出力の場だったりもします。間違った内容を公開しないように、誤った情報を発信しないように、知識のアップデートをする訓練をさせていただいています。
情報は知識にあらず。
肝に銘じてこれからも歩みを進めたいと思います、という結びでちょうどお時間 (2020/01/16 6:00~6:30) にござる!
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