物事は常に変化していくものだと私は思っています。昨日の自分と今日の自分は違うわけですね。ただそれは、全体や総体として見た場合であって。一部分を切り取って見れば、変化しない部分もあるのだろうとも思っています。そのうえで、変化する部分のほうが割合は大きくて。きっと「変化していないように見せる変化を続けている」のだと思うのですよね。考え方は変わらないのではなく、変わらないように、変わらなくて済むように『変化しないための変化』を続けているのではないかと。なんだかアドラーの個人心理学っぽさありますね。
私も大概保守的な「側面」がありまして、たとえばごはん屋さんの新規開拓をあまりしません。1 から 10 までの候補を 1 から順に試していくのですが、4 のお店が大当たり!となれば、5 以降を試すことはしばらく後になったりします。5 以降を試した結果、やっぱり 4 が一番だったとなるかも知れないけれど、それは 5 以降を試してみたからこそ分かるものであって。ということを頭で理解しながら 5 以降を試さないのは、5~10 を試す機会を 4 の機会に充てたほうが良いのではとか、単純に期待外だったときのしょんぼりさとか、色々な理由をつけられるのですけれど、最終的に行き着くのは『変化しないための変化』なのだろうなぁと。
無論、それは悪ではありません。そうすることで、移ろいゆく自分のなかでタイミングなど諸々が合致したモノを存分に味わえます。でも、砂場遊びやおままごとをしなくなるように、好きだったコンテンツから足が遠のくように、移ろいゆく自分だからこそ、関係性も変化していくものです。微妙に変化しながら繋がりが続くこともあれば、歯車が噛み合わなくなり疎遠になることも。諸行無常にござる。ゆえに『変化しないための変化』も、なんだかんだ変化なわけです。
いまはこうしてサーバーを自分で賃借してブログを書くほどに味わっているエオルゼア生活も、いずれ離れるときが来るかもしれません。来ないかもしれません。そうでなくとも、あのコンテンツはちょっと縁がないな、というものが出てくるかもしれません。既に思いつくところでは、お仕事の関係で安定した活動が難しいための「絶」が縁遠いのですが、その姿勢がもう『変化しないための変化』だとも言えます。
……というのは重々承知のうえで。手を伸ばしてみたいけれど、様々な要素を勘案して手を出さない判断も人生では避け得ません。10 あるお店のすべてを味わい尽くすには、人生は短い。けれど、見つけたなにかひとつを大事に暖められたら、きっとそれはそれで良い塩梅なのではと思うのです。そしていまのところ、数あるオンラインゲームや体験から、FFXIV というひとつを選び、大事に遊べているのは良い感じかなと思っています。
袖振り合うも多生の縁。移ろいゆくエオルゼアと移ろいゆく自分が一部でも重なりあう間は楽しみたいと思いますし、私のブログをご覧のあなたとも、そのような関係でいられたらなぁという日記でございました!
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