某光の饅頭さんが投稿されている攻略動画において、主流とは異なる戦法を取り上げたところ、高評価と低評価が入り交じる、俗に言えば炎上に近い事態となっています。
論点が複数あるため、興味のある方はご自身で見極めていただきたいのですが、批判側の言い分に頷ける部分があれば首を傾げる部分もあり、饅頭さんの対応に理解できる部分があれば共感しきれぬ部分もあり。
なんとも状況は複雑で、一刀のもとに善悪を断じることは危うい。
そして、本記事の本筋はこの一件の評論ではないため、詳細な分析は行いません。今回は、このような状況が展開された際に散見される、影響力というモノについて、扱ってみます。
私は、影響力とは、掛け算の性質である、と考えています。……同時に、悲しいかな人間(群衆)の性として、マイナス方面にかかるときだけ、やたらと倍率が高くなる厄介なシロモノ。
のみならず、悪意ある(もしくは不用意な)人によって、マイナスでないことすら、マイナスに変えられかねないシロモノ。
プラスの側面もあるけれど、率直に言って、足枷とすら表現できると考えています。
影響力のないAさんと、影響力のあるBさんがいたとします。それぞれが、道端に落ちているゴミを拾ったとして。
Bさんに熱心な観察者がいれば、祭り上げられる場合もありえるけれど、両者とも、さほど話題にされることはないでしょう。
良いことというのは、なかなかに拡がりにくいものです。
しかし、もしもゴミのポイ捨てであったら。
Aさんも相応に批判されるだろうけれど、Bさんは、おそらくAさん以上に、ともすれば過剰な批判を浴びる可能性があります。同じことをしても、知名度や影響力といったものが、結果を増幅させてしまう。
特に「良くない」と判断したモノに対して、人は出来合いの大義を掲げ、攻撃しがち。
そして、これもまた人間の側面ですが、問題のない行動と問題のある行動を結びつけて評価してしまうこともある。
「影響力」あるがゆえにそういった思考をする方を呼び寄せるのか、そういった思考をする方が「影響力」に釣られるのかはさておき、この両者は密接に関係し、雪だるま式に、不幸と悲劇を伝播させていきます。
で。
饅頭さんに影響力があるか……という問いの答えは、イエスです。
わかりやすい解説、とっつきやすい語り口もあり、視聴者数は多く、公式イベントに招かれる等、ユーザーのみならず開発からも認知されています。
FFXIVのコンテンツ攻略動画投稿者として、国内で1,2を争う知名度でしょう。それらをもって、影響力があると評することに、大きな異論はありません。
しかしながら今回、影響力どうこう以前の大前提として、虚偽の流布、誤った情報の提供などはしていません。
固定パーティでの一例です、との断りまでいれたうえで、実際に存在し、採用されてもいる解法をプレゼンしたに過ぎません。動画そのものにおいて、マイナスの部分はないと言えます。
攻略動画としての情報に誤りがない以上、そこに問題はない。では、何が問題とされたのか。
冒頭、論点が複数ある、とお伝えしました。
今回のケースにおいては、取り上げなかった戦法の採用率のほうが高く、人の分散する恐れがーとか、饅頭さんの動画内セリフが煽っているように聞こえるとか、Twitter等で一貫性に欠いた言動があるとか。……ほか、それらに付随した諸々の周辺事情が存在します。
動画に問題はないけれど、その周辺に問題とされる部分があった。
つまりこれは、先程書いたような、「問題のない行動と問題のある行動を結びつけて評価」の表出。それが、影響力という掛け算を通し、広まってしまったのです。
で。
ここへ至るまでの過程に、「影響力」の多寡が関係していることは確かです。冒頭でも書いたように掛け算であり、望む望まぬに関わらず、作り手本人と価値観の異なるところのにまで届き、触れられてしまう状況。
思わぬ反応、想定し得なかった反響は、どうしたって起こり得ます。その結末が、これまた冒頭に書いた、
「マイナスでないことすら、マイナスに変えられ」
る事態だったりするわけです。
「問題がある」と槍玉に挙げられた部分ですら、本当に問題があるのか、という側面があったりする。
けれど、その危険を最小限にするマネジメントも、作り手にとって重要な才覚です。
彼の方がそれに劣っていたというお話ではなく、そういう姿勢が自衛において大事ということ。
しかしながら、過剰な配慮を行うことで、鈍ってしまうモノも存在します。……あんまり気を使いだすと、途端に窮屈になっちゃうのですよね。
私自身、かつて運営していたPSO2ブログにおいて同様のことを度々言われ、「対応した結果の自分らしくなさ」に悩まされた経験があります。(隙あらば自分語り
長々と書いてきましたが、自身の結論を導きだすのは、あくまでも自分ひとりです。自ら聞いて、感じて、考えることが大事。(突如現れるハイデリン
掛け算をする前の、ありのままの事象に目を向け、判断しましょう。「影響力」なんてものに、目をくらまされてはいけません。
その言動、その行為の何が良く、何が良くないのか。ひとつが良いから他も良い(またはその逆)は、短絡的です。
どこに問題があり、どこが問題ないのか。すべてが悪い、一方的に10対0で悪い、なんてことは、そうありません。
……まあ、これを行うのは、正直いって面倒くさい。わかります。判断をアウトソーシングして、自分で評価する手間を省き、誰かの作った論に乗っかれば、楽です。
楽だから、自分ひとりくらいなら大丈夫だろうから、「影響され」、流される。それでいい、と生きるのもいい。
自分で考えるのも、他人に委ねるのも、どちらの有り様も間違いではありません。
どちらでいるのが、より自分らしいか。どちらでいるのが、自分に恥ずかしくない自分なのか。
……ということを、まさしくこの記事に影響されることなく、ご自身で考えるなり、誰かの言葉を借りるなりして見つけていければ、私もあなたも幸せなのかなぁと思います。
ぜんっぜんまとまってへんやないけ!!!
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