1. 随筆
  2. 7845 view|最終更新 20/10/15

エオルゼアにおける「差別意識」について。

₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎暗い気持ちになるだけの記事ではないので安心してほしいでござる。

記事を書いたきっかけ

エオスト」を執筆運営されている lazy さんのつぶやきです。

現実世界とハイデリン世界を比較したとき、各種族の外見は現実世界以上に個性的です。それでいて種族を超えた共通語が存在し、国家や集合体もいろいろあり、争ったり和解したりしながらいまに至るのであれば、潜在意識はどうなっているんだろう?と興味を持ちました。それらについて、ゲーム内あるいは各種の文献で調べて知ったこと・気づいたことをまとめるための本記事、というわけでござる。ゆえになかなかの長文記事となりましたし、前段記事まで存在します₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎

実際に触れ、改めて実感しましたが、社会を構成する生物であれば諸々の区別は不可欠であり、それが差別に行き着くことも避け得ません。その形状や強度などが多様で、軽々に善悪を断じることも不適切で、ひとことでいえば、なんともむずかしい。でも、触れたことで見えてきたものも存在します。それらをおすそ分けできたらいいなーと思っているせっしゃです。

上記の記事も以下の記述も、私個人の視点であるため、資料として精確である保証はできません。なるべく平易で伝わりやすく記すよう努めてはいますが、そう心掛けるがゆえに解釈の余地や齟齬が生じるかもしれません。そのあたりはご了承いただいたうえでご覧くださいませ!

前提: 差別と差別意識の定義

まずは、差別とはなにか。様々な解釈がありますけれど、本記事では「相手を不当に扱うこと」と定義します。現実世界のそれとだいたいおんなじ。ゆえに、それぞれの主観で変化するあたりもおんなじです。差別の成立要件は「受けた相手が差別と感じたら」などですが、ひとまずその辺は割愛。そして、差別を容認すること……「あの連中は不当に扱ってもよい」と認識することを、差別意識があると定義します。

差別は区別と地続きです。区別の行き着く先が差別となりえます。だからと区別を恐れたり廃する必要はないけれど、相互の関係性や価値観によって起きる状況であり……つまりはお互いの考え方次第であることは忘れずにいたいですね、なんてお話はさておき。

エオルゼアに差別意識はあるのか

たくさんあります。程度の差こそあれ、様々なかたちと場所で、あります。というより、エオルゼアの諸問題はそうした差別と分断に起因し、であればこそ「超える力」が際立つ構図となっています。

グリダニアで「ならず者」と指弾されるシェーダー族、非力な者へは一瞥もくれぬルガディン族、ミッドランダー族に「おまえのかーちゃんゼーウォルフ!」と囃し立てられるハイランダー族、イシュガルドで「ドラゴンの眷属」とされ、命すら奪われたアウラ族。また後述しますが、サハギン族やイクサル族などを「蛮族」と表現・認識し、公然と語られるあたり、差別意識による分断は根深いと感じます。

今回は取り上げていませんが、キキルンやゴブリンなどを「獣人」と呼ぶこともありますね。この呼称については、エオルゼア百科事典においても曖昧な線引に基づくものとされており、つまりは主観での区別なわけです。そういうものが多数存在するのが、エオルゼアという世界です。

それでは続いて、国単位でみていきましょう。

グリダニアにおいて

建国の経緯から軋轢が存在し、依然として差別意識が根強いといえましょう。当初はエレゼン族 vs ヒューラン族の構図でしたが、共通の脅威である「精霊」に対抗するため和解。地下都市ゲルモラから地上に進出し、都市国家グリダニアを建国します。その際、地上に出たエレゼン族は「フォレスター」、ゲルモラに留まったエレゼン族は「シェーダー」と区別されるようになりました。

グリダニアにおいては、その二者対立が色濃く残ります。単純に生活圏が重なる程度であればまだ良いのでしょうが、黒衣森の上位存在である精霊への対応が異なるため問題に。フォレスターは対話と共存を図る一方、シェーダーはゲルモラ時代と同様、拒絶と敵対路線なのですね。ゲルモラでは、防壁や障壁などの結界術と、弱体や妨害魔法によって精霊の攻撃をコントロールしていたのです。それらの効果は、黒衣森で発見された遺跡 (死者の宮殿) で一端を垣間見られます。魔土器がまさしくそれ。

閑話休題。グリダニア建国から時が経ち、シェーダーからの途中合流者などもあり、力関係はフォレスター側に大きく傾いています。シェーダーとして森に暮らす者は、多数派のしきたりの埒外で生きねばなりません。それはすなわち、グリダニアや精霊からすれば密猟者、森を乱す者となります。よって「シェーダー=ならず者」の烙印が押され、認識も広まっていくのです。イクサル族や帝国の脅威が先立つ現状、表立っての対立には至っていないようですが、「大阪人はうるさい」「京都人は陰険」みたいな関係性かもしれません……と書くと一気にコミカルになるでござるな!

リムサ・ロミンサにおいて

リムサ・ロミンサの根幹となる、海賊衆。そこにおける仲間意識や縄張り意識は強烈なもので、差別よりは敵対と表現したほうが近そうです。敵対も差別の一種 (延長線上にもある) で、暴力的な帰結となるケースもよくありますが、その鬱憤をうまいこと転化させる「トライデント制度」の策定、以下に触れる特殊な立ち位置などをも活用し、国家として成り立っているといえます。

というのも、リムサ・ロミンサという国家自体が、他国から差別されていた可能性が高いのです。原因はもちろん、海賊行為。内陸部に拠点を築けなかったかつてのリムサ・ロミンサは、貧しい生活の打破を海賊行為に求めました。結果発展には至りましたが、他国からすれば、ね。 それを下敷きに語られる「リムサ・ロミンサの民は粗暴だ」とのステレオタイプが浸透するほどであったならば、風評を逆手に取り、団結の糧にすらしたのだろうと思うのです。ただ、それは自身の所属する海賊船団などの組織に対してであって、リムサ・ロミンサという国家に対してではなかったと考えます。その危ういバランスを保つためにシーフギルドが存在するのかな、とも。

現在は現提督メルウィブ・ブルーフィスウィンの政策によってグランドカンパニー参加国への略奪は禁止され、結果的にガレマール帝国船籍のみがターゲットされる現状です。それはそれで帝国差別の一つといえますが、この「グランドカンパニー vs ガレマール」は FFXIV の核心であり、エオルゼアの差別意識を語る上では外せない点です。後述します!

ウルダハにおいて

貧富の差は、差別に繋がる大きな要因です。そういう意味で、ウルダハの差別構造は想像がつきやすいのではないでしょうか。侍ジョブクエストでも悪徳商人が利益供与により権力を濫用するシーンがありますね。ただ、財力に起因する差別が見られる一方、種族や外見や性差といった部分での差別は比較的少ない印象です。あくまでカネが焦点で、良くも悪くも資本主義の尖った形を描いているように思います。

徹底した実利・資本主義は、不合理な差別の余地を削り取ります。個性や特性は、それを活かす場所をあてがえられれば富を生み出します。炭鉱夫ひとつをとっても、ルガディン族は膂力を活かした発掘作業に向き、ララフェル族は小柄を活かした鉱脈探索に向きます。「駒」の動かし方を知らざれば、知る者に駆逐されるのです。

……ただやはり、そうはいっても、貧富の差による断絶は大きなものです。アラミゴ難民の処遇と境遇はストーリーで幾度となく語られましたが、そのような事態を引き起こすほど、とも言えます。表に出てこない=クエスト等で語られていないだけで、カネに物をいわせた人身売買など、もっとヤバいあれこれはたくさんありそうな気がします。ナナモ女王が決断した難民政策によって徐々に状況は改善され始めていますが、まだまだ道半ばといえましょう。

イシュガルドにおいて

鎖国政策を長期間とってきただけあり、総じて排他的です。排他とは、自分と相手を区別したうえで排斥するものであり、差別意識と結びつきやすい構造なのは言うまでもありません。貴族と平民の身分差、絶対的な宗教、偏った権力勾配など、区別と差別が入り乱れる社会であったことは想像に難くありません。冒頭でお話したように、竜族と似た特徴があるというだけで、アウラ族の民が「異端者」として殺害された過去もあります。

それを捻じ曲げて捻じ伏せる仕組みこそがイシュガルド正教であり、千年戦争だったわけです。長きに渡り閉塞的で硬直的だけれど安定はしていて、閉じた世界を生きるに不足はなく、全方位から「人生とはそういうもの」と定義され続けていたわけです。貴族と平民の差は覆し難く、竜族は悪で、それらが欺瞞だと知ったり考えた者は体よく「異端者」と差別され排除されます。端的に言えば、差別意識自体を正当化する仕組みで溢れていたというか、差別すら国を支える動力にしていたというか。そもそも、竜族への意識が何より差別的です。人間側が裏切ったのに、竜族が悪いと吹聴して、泥沼の戦いを続けているのですから。

ただ、それも「竜族との千年戦争」なんて特殊な環境に適応するための選択だったのかなと思います。原因がなんであれ、強大な竜族と戦わざるを得ないのであれば、様々な枷と鎖で絡め取り、社会という大きな枠組に組み込んでしまえば権力側は楽。竜族の恐ろしさ、悪辣さ、誇り高く戦う名誉、家柄、責任、その他もろもろ。であればこそ「異端者」にも容赦ない差別が許容されたわけです。

そんなイシュガルドにも、新たな枠組、新たな考え方、新たな人生の定義が流れ込んできました。これまで信じてきた教義が誤りだった事実は大きな衝撃であり、聖アンダリム神学院にまつわるサブクエストなどでもそのあたりが描かれています。概ねは新しい価値観も受容されているようですが、千年の長きに渡った支配構造から完全に脱却するのは、もう少し先になりそうです。

アラミゴにおいて

かつてはグリダニアを相手取って戦果を挙げるほどであったアラミゴ。現在は被支配・被差別の存在として描かれます。だいたいガレマール帝国のせいですが、難民化した民衆が他国に救いを求めるなかで「支配する○○人、差別されるアラミゴ人」となる構図は、グリダニアやウルダハでも見受けられます。

「難民」もまた、差別意識を向けられがちな属性です。グリダニアのケースは精霊が間に噛んでいるとはいえ、拒絶されたという事実が重くのしかかります。すると、ある種の被害妄想、連鎖が起きるのですよね。かつて戦火を交えた因縁をいま蒸し返すのか!とか。すると対立は深まり、彼我の区別……ひいては差別も激しさを増すのです。負のスパイラルですね。

その一方、難民とならず帝国の支配を受け入れた人々が、解放された際に「これからどうすればいいのか」とぼやくなど、差別と迫害を受け続けた者の苦悩も垣間見えます。服従を強要され続けると、自らの足で歩むことが無意味になるから、自主自立の精神を忘れてしまうんですね。これは怠惰でもなんでもなく、生きのびるための行動。差別とは、そうした事態すら引き起こすのです。

また、アラミゴで生まれながら帝国の市民権を持つフォルドラを筆頭とした「髑髏連隊」の若者とレジスタンスの対立など、複雑な関係性も描かれています。彼らにも彼らなりの行動原理、思想、理想があり、是非や善悪を一言で断じることはできません。してしまえば、それこそが差別の芽生えとなります。フォルドラやリセが今も悩みながら生き抜いているように、少しずつ氷を溶かすほかないのでしょう。それは難民たちも同様で、彼らも少しずつ顔を上げ、自らの足で歩んでいかねばなりません。解放は終わりではなく、始まりなのですから。

ガレマール帝国において

エオルゼアに覇を唱えんとするガレマール帝国、その根底にあるものは「強烈な差別意識」であると考えます。先天的に魔法が不得手なガレアン族は他部族に連戦連敗、北洲のすみっこまで追いやられ、肩を寄せ合うように建てたのがガレマール共和国でした。魔法を使えないガレアン族は、魔法へ対抗するために魔導技術を発展させ、その魔導技術でもって、かつての敗走を取り戻すかのように反攻へ転じました。この背景には当然アシエンの手引きが様々あったとはいえ、ガレマール帝国こそ文明国であり、エオルゼアの “蛮族” 連中を導く存在だ、との自負があると考えられます。

文明が野蛮を正し、駆逐する。非常にわかりやすい対比ですね。どこかの「世界の警察」が戦争をふっかけたときにも似たようなことを言っていましたが、つまりは、そういうことです。自身を開化された存在、相手を未開の存在とすれば、自然と序列ができあがります。その序列でもって、上は下を制御しようとします。でも、勝手に下とされた側は素直に言うことを聞きなどしませんし、勝手に説教を垂れられても従いはしません。そこで用いられるのが暴力です。その際、暴力こそが何より野蛮であることを「文明人」様は忘れてしまうんですね。

他者への態度は自己評価の裏返しでもあります。彼らは自らを文明人だと自己認識しており、私たち非帝国人を「蛮族」とこともなげに呼びます。それほどに隔たりがあるならば、暴力や威圧という手段が容認され、正当化されるのも宜なる哉。それにしても「蛮族」って凄い言い回しですよね。私がイメージする蛮族は挨拶代わりに首を刈りにくるような連中……なのです……が……あれ、ヒカセンって割と蛮族なのでは?(墓穴

さておき、帝国人……とくに帝国軍人はなかなかに先鋭的です。上記のような「帝国バンザイ!」を叩き込まれているからですが、そもそもなぜ叩き込まれるのか。理由はかんたんで、相手を攻撃する、殺すための言い訳です。あいつらは蛮族だから我々に従うべきなのに、不遜にも反発してきたため、仕方なく武力で制圧した……というストーリーを作るためです。ティンさんを何百万回とお星さまにしたり、ガイウスボンバーチャレンジをしたりなんて、帝国側からすれば野蛮の極みでしかありません。私達が黒薔薇の件などで感じた怒りや義憤を、帝国側も感じているだけなのです。

そう、ガレマール帝国がエオルゼア諸国を蛮族だと認識しているのと同様、エオルゼア諸国もガレマール帝国を蛮族だと認識しています。互いに自陣営を正当化し、敵陣営を悪し様に評価し、敵愾心を煽り、攻撃する口実にしているのです。互いに手をとりあい、憎悪の螺旋階段を二人三脚でスプリントしているだけです。ゲーム内では、帝国の非人道的侵略ゥ!なテンションですが、その視点が既に差別的な思惑の術中かもしれません。

そんなわけで、復讐は何も生まない!とか、いやいや復讐して気が晴れるならそれでいいじゃんとか、ネット上でも様々に言われますが、国対国の規模ともなれば、雇用、カネ、文化、大義名分……復讐はいろんなものを生みだします。それぞれ適当な塩梅でぼちぼち楽しければいいじゃん、と平々凡々な私個人は思いますが、国の規模ともなれば事情も違うのです。どちらかが破滅するまで続くチキンレースですけれどね。

ただし、帝国内の「民衆派」と呼ばれる層や個人も描かれており、アラミゴとはまた違ったアングルの、差別意識に対する様々な価値観が提示されています。「敵の中にも理解者がいる」は、たとえ勘違いであったとしても、対立を解く第一歩となりえます。その先に差別意識解消の道もある……のですが、相手を蛮族と呼ぶほどのそれを解消できるかは何とも答えに窮してしまいます。足がかりとしての重要度は変わらないものの、ある程度理解できてしまった結果、揺るぎない不倶戴天であると確定しちゃって、どちらかが滅するまでの潰し合いに発展する可能性もあったり( ˊᵕˋ )

「蛮族」について

ここまでお話をしてから「蛮族」の定義について。ゲーム内での包括的な定義は語られていませんが、インタビューにて吉田氏が以下のように答えています。

蛮族というのは,その土地を支配している最も強い勢力が,自分たちと異なる種族を呼ぶときの総称として用いられています。良い言葉ではないですけどね……。 (出典: 4gamer)

エオルゼア諸国は、サハギン族やグナース族などを蛮族、彼らが喚び降ろすモノを蛮神などと呼びます。それはつまり、エオルゼア諸国側が「その土地 (エオルゼア) を支配」している自認から来るわけです。翻って、上で長々お話したガレマール帝国。彼らも、自らたちがエオルゼアを支配している・支配すべきだと考えているからこそ、エオルゼア諸国の民を「蛮族」と呼ぶわけです。ぃゃー似た者同士₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎

ちなみに先週の記事でも軽く触れましたが、以下が私の感想です。

第七霊災を経験したばかりの世界で、人種どうこうで諍いをするヒマはない、というのも現実かもしれません。当面は「蛮族」への対処に手一杯で、種族間のアレコレについてはいったん呉越同舟的な。

現実世界では外見の違い程度でどうこうしていますが、それは「平和だから」と言えます。共通の敵がいないとも言えましょうか。仮にいまタコ型宇宙人が全地球的に侵略してきたならば、黒だ白だなんて消し飛ぶと思うんですよね。サハギン族が「ヒレナシ」への不信感を語るシーンなども描かれているため、そう単純ではないことは承知の上で、エオルゼアも今はそんな感じ。言い換えれば、帝国の脅威が去って周辺の「蛮族」も抑えられるようになったとき、隠れていた火種が再燃するのかなー、でもそれはちょっと生々しすぎるしファンタジーとしてはスケールがアレなのでスルーしてほしいなー、なんてお話もさておき。

まとめ

エオルゼアにおいて、差別意識はたしかに存在します。小さいものでは子供の悪口、大きいものでは民族の粛清に繋がるものまで。本来、差別とは看過されるべきではありません。けれど、エオルゼアという仮想世界……特殊環境下で繰り広げられるその光景は、生存のための区別から生じた側面なども色濃く、一概に断じられないと感じます。

でも、それではストーリーが進みません。であればどうするかといえば「正義」をあてがうのです。本来は複雑なものを単純化し、強引に解答をこじつけるための汎用解答集が「正義」です。信仰とも呼びます。エオルゼア諸国にも、ガレマール帝国にも、イクサル族などなどにも、それぞれの正義が存在します。私やあなた個人にも存在するでしょう。その正義は、誰かにとっては良き振る舞いで、誰かにとっては悪しき振る舞いです。どうしたって差別が生じる可能性は残ります。すべての人が幸せになる正義というのは、残念ながら存在しません。

人間が人間である限り、差別はきっとなくなりません。しかし、であればこそ、より多くの人々が幸せになれる道を模索するのが人生、あるいは社会のあるべき姿ではないかと、私と私の掲げる正義は考えます。あなたの掲げる正義ではどうでしょうか。エオルゼアの私たちや、エオルゼアの人々が掲げる正義ではどうでしょうか。そんなことを考える一助になったらいいな、なんて毎度恒例のぶん投げっぷりでこの記事おしまいでござる!

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コメント

    • 匿名
    • 2020年 8月 04日 10:55am

    宇宙人が攻めてきて人類が滅亡の瀬戸際に追いやられてもなお目先の利権や体面、政治のかけひきなどで人間たちはついに一致団結できなかった、という小説を昔読んだことがありますな…

      • 松乃雪
      • 2020年 9月 04日 7:52am

      私も「宇宙人は友達!」と歓迎する人々が宇宙人によって消し炭にされるシーンのある作品を見た記憶があります。黒だの白だの黄色だのは「私にとっては」呉越同舟のノリでもあれば越えられると思うのですが、あるいはそうではない、差別を続けることだけが自身の生存意義と考える人も確かにいるかもしれませんね。死ぬ直前まで自分が死ぬとは考えもしないヒトが……( ˊᵕˋ )

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