例えば、未曾有の被害者を出した、京都の一件。少し前の、母子が犠牲となった池袋の一件。世の中にはショッキングで、センセーショナルで、辛くて悲しくて苦しくて許せないことが、たくさんあります。
被害にあわれた方を思えば、見て見ぬふりはできません。だけれど、無理をしてまで、自分を犠牲にしてまで、触れなくてもいいんです。ちょっと苦しい、しんどいな……と思ったら、いったん距離をおいていいんです。
社会の一員として、被害者にすこしでも報いるため、無念をわずかでも慰めるため、死を無駄にしないため、犠牲を礎としてよりよい社会を実現するため……正面から向き合うことが求められもします。ですが、事件から受けとる「感情」や「衝撃」の許容量は人それぞれで、それこそ体調でも異なります。そこを無視し、触れ続けてしまえば、こころが不安定になってしまう。
怒りのあまり、過剰な処罰感情を抱き、過激な言動に出たり。
悲しみのあまり、不安を増幅させ、周囲との軋轢を生んだり。
衝撃のあまり、何事も手につかず、上の空になってしまったり。
いずれも、正しく判断しようと情報収集をしたり、感じるものが大きかったりした方が陥ってしまう状態です。がんばった結果、やり場のない思いを抱いたり、事件の悲惨さに押しつぶされてしまうのです。でも、こうなってしまえば、まともな判断はできません。
そして残念なことに、憶測や願望を織り交ぜ、私たちを煽りたてる者がいます。事実や人の尊厳よりも、視聴率やアクセス数を重視する人非人にはならぬよう……というのはさておき、そういったものに触れたとき、わずかですが影響を受け、そちらに「引っ張られ」ます。それは、あたまの片隅とこころの奥底に蓄積する泥であり、すこしずつ蝕まれていきます。テレビや新聞のような、スポンサーがいるメディアはもちろん要注意ですが、ここで気をつけるべきは、ネット……特に言えば、TwitterやFacebookなどの、SNSです。
誰もが発信できるSNSは、有益な情報がたくさんあるものの、上記のような「不安定になってしまった方」の声も多くあります。……そして、極端で過激であるほど、注目を集めるもの。結果、その投稿は泥をふりまき、さらなる悪循環をもたらしてしまうのです。
そういったものからは、距離を取りましょう。
熱狂、狂乱、暴論からは離れましょう。
ここまであなたなりに頑張ったのだから、頭と心が落ち着くまで、時間をかけていいんです。頭と心が落ち着いたら、また手にとってみればいいんです。あれほど難しかったギミックが一週間後の周回ではハッキリわかるように(申し訳程度のFFXIV要素)、時間をかけ熟成した思考が導く場所はきっとありますから。
全く自分に関係がない!という態度なら、無責任かもしれません。
そんなこと考えても、なんて態度なら、不真面目かもしれません。
でも、そうではなく、自分なりに取り組んだ結果苦しくなってしまったのだから、ストップなのです。よくがんばって偉いのです。ムソウサイスタンプをあげるのです。貯まるとムソウサイのラバストやカレンダーがもらえるのです。あっ欲しい
……記事の最後に蛇足を申し上げれば、私個人は共感力が非常に乏しいのか、良く言えば自他を切り分けて考えられるため、しんどくなったり苦しくなることがありません。ですので、あなたのぶんも拙者が受け持つということで、ちょっと休んで大丈夫にござるよ。
そして、その「息抜き」にぴったりなのが、ゲームなどの娯楽です。というわけで、侍で雪月花撃とうぜ!!
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