1. 随筆
  2. 720 view|最終更新 19/11/14

ゲームに遊ばれないために。

ゲームは「プレイヤーが遊ぶもの」です。プレイヤーが「ゲームに遊ばれる」のは、ちょっとざんねんです。熱くなりすぎて、他人を攻撃してしまう。入れ込みすぎて、現実生活を疎かにしてしまう。思い悩みすぎて、自らを傷つけてしまう。ゲームで遊ぶはずが、ゲームに遊ばれてしまう。


開発者視点とか、込み入ったアングルもあるけれど、ことユーザー側、プレイヤーとして見たとき、主体はプレイヤーであり、ゲームは従……演出装置に過ぎません。しかしながら、優秀な装置がゆえに、時に主客転倒が生じます。そして大抵、その状況は人を良からぬ方向へ導いてしまう。楽しみ方のかたちは人それぞれだから、これすなわち不幸、と断じることはできないれど、幸せかというと、それもそれで首肯しがたい。

けれど、愛犬のお散歩中に引きずられる飼い主の姿……と言えば、伝わりやすいでしょうか。……ちょっと微笑ましくなっちゃった。ともあれ、至るまでも含めていろいろと、個別の事情背景があるのだけれど、多くのケースで、原因は「当人の精進不足」のように思います。責めるわけではありませんが、ゲームが悪いのではなくて、コントロールできなかった側に落ち度があります。

……逆説的に、私が精進を積んだ人間というわけではなくて。私もかつては同様に様々なやらかしを、というのは置いといて。ゲーム、あるいは自分自身というものへの認識が不十分だと、ゲームに遊ばれる不幸な事態に陥ってしまう、ということ。

たとえば、他者へ暴言を吐いてしまうケース。そこまで熱くなるほど真摯に向き合った結果だ、というのも理解しますが、同意を得たい・理解を促したいのであれば、乱暴な言葉づかいにはなりません。攻撃的で威圧的なフレーズで感情を発散させたいという意識が前面に出してしまうのは、目的から遠ざかる行為です。

そのあたりのアンガーマネジメント…怒りの感情を制御する能力が未熟、という意味での精進不足。そしてなにより、あくまでも「ゲーム」なのです。自己実現や承認を満たす場であることを否定しない(私もブログを書いていますし)けれど、ゲームはゲームであって、それ以上でも以下でもない。……このあたりの言葉の綾というか、表現の意味はまた機会を見て。

 

ゲームによって繋がった縁、得られたモノ、色々ありますが、それをもって「ゲームではなく、もっと別の素晴らしい何か」と恣意的に変質させたとき、ゲームに遊ばれる準備が整いだしてしまいます。その認識や脇の甘さが、精進不足のふたつめ。

昨日の記事で書いた、高難易度コンテンツとの付き合い方もそうです。主体を手放したとき、眼前の景色は一変してしまうのです。ゆえに、怒りを知性で分解し、建設的な対話に変える。過ぎた興奮からは身を置き、冷静に自らを観察する。恐怖には理性の光をあて、理解でもって解きほぐす。……を、成し得るだけの精進がたいせつ。

いまはできていたとしても、いつ不全に陥るかわかりません。お仕事等で疲れていたり、ゲーム外の要因でついついやらかしちゃう可能性は十分にあります。油断しないように、自分は大丈夫だと慢心しないように。

そのために大切なのは、主体的に、能動的に楽しんでいくこと。……そこを意識しすぎて、消費エネルギーが嵩んでは本末転倒ながら、受け身の姿勢が過ぎると、いつの間にか取り込まれている、なんてことにも。能動的に楽しむ姿勢は、常に持ち続けていたいものですね。そういう意味で、ブログを書くのってなかなか良いと思いますよ!あなたもいかがですか!!

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