8年前のこの日から、「3月11日」という日付の持つ意味が、変化したように思います。東日本大震災の爪痕は、今なお深く……いえ、当事者の方達には、”癒える”などと表現することも憚られる、悲劇の数々があったわけです。客観的に、統計的に見ても、その被害は未曾有の一語。
映画監督(私としてはコマネチのおじさんですが)北野武は、「2万人が死んだ一つの事件ではなく、1人が死んだ事件が2万件あったのだ」と表現しています。
全文 → ビートたけしが震災直後に語った「悲しみの本質と被害の重み」
ニュアンスや意図は、是非ともご自身で全文をご覧いただければと思いますが、同様の考えでもって、悼み、祈り、願う気持ちは、私も変わりません。……というのはモチロンのうえで。
3月11日は、私やあなたや誰かにとって、記念日だったり、幸せな日だったり、お祝いすべき日でもあるんです。
大きな事件、痛ましい出来事たちを真摯に捉え、教訓として生かすことは大切。それと同じくらい、喜ばしい大切な一日でもあるとして、ささやかな幸せを振り返り、拍手と笑顔に包まれることも大切。なので、被害に遭われた方達へ寄り添うのと同じように、今日この日、祝われるべき人たちのことを祝ってあげられたら、すてき。
被害に遭われた方々、今も苦しむ方々へは、最大限の哀悼と支援を。私にできることは、忘れず、風化させないことだと考えています。そして、今日が記念日だった方々へは、心からの祝福を。そんな方達は、きっと心のどこかで、3.11のことがあるから……と、喜びを抑えているように思えてしまうのです。その配慮は美しいけれど、体中で喜びを感じられるべきなのです!
というわけで!!
3月11日がお誕生日のあなた!おめでとうございます!私はチーズケーキが好きなのでおごってください!!3月11日が結婚記念日のおふたり!おめでとうございます!末永く爆発しろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!3月11日が事始めや集大成だったあなた!おめでとうございます!積み重ねた足跡も、人生の証明となるのです!
他の日付だって、一緒です。私の誕生日は、誰かの命が奪われた日でしょう。あなたが絶望の淵に沈んだ日は、誰かが至福の時を過ごした日なのです。悲しみと喜び、どちらにも、いくらでもあるんです。であればこそ、手の届く範囲で双方へ寄り添えるように、それぞれを理解し、いい意味でフットワーク軽く行きたいな……という私からのエールでした!
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