1. 随筆
  2. 1437 view|最終更新 19/05/06

ワールド間テレポの光と影。

拙者、長文の結論を冒頭に持ってくる侍でござる!
・この仕組みは「距離感」を見誤る可能性もござる。
・距離感を失った果ての「都合の押し付け」に注意でござる。
・憧れのあの人、面白いあの人、皆それぞれの領域がござる。
・近づけるがゆえ距離を測る、気配りの交流が肝要にござる。
以上!これにて御免ァ!

……


鯖缶テレポ、してますか!(挨拶
ごきげんよう、松乃雪です。

去る2019年4月23日。ワールド間テレポシステムが実装され、”同じDC間”の注釈付きながら、ワールドという垣根がだいたい無くなった日です。(ざっくり
詳細は公式(→こちら)をご覧頂くとしまして。

用心棒の田舎侍である私も、バハ鯖へ行ってみたり、勢いに乗ってアロハウソウソ相場を総ざらいしたり。

しかしおそらくは、そういった実利的な部分より、別サーバのお友達に会いにいく!!等が、最大多数の使い方と想像します₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎いままでは、気軽にはいきませんでしたからね!

そのように、使い方によっては、これまで以上に、エオルゼアライフを豊かにしてくれる機能です。

 

……そう、使い方によっては。

適切に慎重に扱えていれば良いのだけれど、万が一、使い方や心構えを間違えてしまえば、これまで生じなかったトラブルが起き得ます。その間違いとは、ひとことでいえば、

「距離感ミス」

です。……頭割りではなく。カエルの大合唱でもないでござるぅ。

各所で「光」……良いところは語られているので、光あるがゆえに生じる「影」について。距離が縮められるようになった作用がもたらす、想いが白熱した結果の、不幸な副作用のお話。

 


これまで、違うワールド所属のプレイヤーと会うには、一緒にパーティを組み何らかのコンテンツへ参加するか、サブキャラを作り訪問するか、どちらかが必要でした。

それが、同一DC間に限るとはいえ、ものすごーく簡単に、本人同士で過ごしたり、接触をできるようになったのです。ふれあいの、幅も深さも手軽さも、従来と段違いなのです。

ここでむくりと鎌首をもたげる懸念こそ、距離感。距離感を誤ると、自身の都合や感情を押し付ける形となり、相手が蔑ろになった結果、傷つけてしまうのです。「サーバー」という防波堤はいまや無く、抜き身と剥き身のヒトとヒトがいるばかり。

ロドストやブログのコメント経由であったり、Twitterのリプライ経由だったりしたお話のテンポが、突然チャットの世界になることとか。相手の反応や動きが、その場で目に見える状況とか。

これまでと異なる環境であるがゆえに、これまでは起きなかった事態が起こり得るのです。

私やあなたがひとりの人間であるように、あのヒトやそのヒトも、(おそらくは)ひとりの人間です。各々の生活、リズム、考え、楽しみがあり、領域を侵すことは、決して褒められません。その禁忌を、犯してしまうかもしれないのです。

その行動が意図したものかどうか、は問題ではありません。受け手、押し付けられた側がどう感じるかが、すべて。

 


ならどうすればいいのか?といえば、アプローチする側が配慮すれば良いのです。

事前にアポを取って、日時と場所を決めて……などの手間をかけろ、という訳ではありません。情熱的に突撃すること自体を咎める訳でもありません。

ただ、抱いているそのキモチの熱量と同じくらい、相手を思いやり、想像力を働かせてあげて欲しいのです。

どのような性格で、どのようなお話を好み、どのような考えと信念を持っているのか。そして、いまどのような状況に在るのか。「交流」にあたり、思いを馳せてあげて欲しいのです。そうすることで、守られるものがたくさんあるのです。

もちろん、私が綴った内容は、あくまで一側面。配慮は不要、気軽においで!なんて方もおられます。あるいは、逆にそういう状況が好き!という、ヒトとヒトの化学反応を楽しむ方もおられます。そんな遠慮は不要な仲だ、と当人同士が思えていれば、この記事にあるようなお話は、無粋のそれでしょう。

されど、距離感を正しく測るという行動と心構えは、人付き合いの肝心でもあると考えます。

親しい・親しくないではなくて、人としての礼儀を全うするための、おもてなし。

蛇足。

蛇足なので折り畳みますが……仮に。都合を考えずに突撃したシーンを想定してみましょう。憧れのあのヒトのワールドまで出向き声をかけたものの、碌にお話はできず、お姿も見られなかったとしたら。

「こんにちは、いつも楽しく拝見を……」

「ごめんなさい!いま手が離せなくて、また!」

となれば、ちょっと悲しいし、しょんぼりですよね。でもでも、きっとご予定もあるだろうし!……と、考えられたなら、すばらしい。踏みとどまり、一歩引けるのなら、すばらしい。
状況を顧み、相手を慮る振る舞いは、とても素晴らしい感性と知性の賜物です。

しかし中には、邪険にされた!とか、愛想悪いな……とか、勝手に幻想を抱いたうえ、勝手に幻滅してくる方もいます。そして厄介なことに、そういう考え方や捉え方の人は、悲劇のヒロインぶりたい性質を併せ持ちやすい。(※個人の感想です

そこから立つ噂や風評は、なんとも厄介なものです。「根も葉もない噂はない」「火の無い所に煙は……」と申しますが、この場合は「噂を流した本人が根っこ」。根っこが自分に火を付けて、かわいそうな私アピール。

……ぬぁぁそこへ直れ!!天誅!!!

 

……失礼しました。一方で、凸られた側はどうなのかといえば、「ちゃんとお話を聞いてあげられなかった」「不快にさせてしまったかも」のように、凹むんです。たとえ、まともな方ならば察してくれる状況でも、申し訳なかった……という思いは胸に残ってしまう。まるで心に刺さった小さな棘のように。

このチクチクと心をつつく棘は、周りからはなかなか見えない代物です。特に、相手を気遣える人であれば、これくらいなら自分が我慢すれば……なんて、口にすら出さない選択を選ぶこともあるでしょう。自分の重荷と苦しみになる、と知っていても。

ですが、更に運悪く、アレなヒトのアレに当たってしまえば、不必要なダメージさえ負わされかねません。

それを恐れ、あるいは「もう傷つけたくない」の優しさで、自分を曲げてまで人に接する光景を、幾度も見てきました。心優しい方が、優しさへ寄生する者に押し潰される様を。心無いヒトが残した棘に苛まれ、心が枯れていく様を。

できたら、そういうのはもう見たくないなーって、見たくないから、そういう凸はやめとこうねーって、書いてみたらちょっとは何かあるかなーって。

一方の私は優しくなく、自分の都合が第一なので、めんどくさいときは普通にスルーもします。やから安心して凸してええで!何かあればスルーするから!

アッッッ!!!!!別に誰も来おへんかったわ!!!!!!!!!


ワールド間テレポにより、これまでと比べ、かんたんに距離感を近づけられるようになりました。大きな一歩であり、この一歩が広げる世界もまた大きい。

であればこそ、その大いなる変化がもたらすモノを、手放しに片手落ちで扱うのではなく、慎重に大切に。臆さず、侮らず、しかして自分と相手の思うままに!取り扱っていきたいよね!!と思う私なのでござった!!!

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