1. 随筆
  2. 852 view|最終更新 21/08/30

「お使いがつまらない」の正体。

名作と呼ばれる物語も、導入部は退屈とされがちです。漆黒の反逆者が評判となった FFXIV も例外ではありません。この文脈でよく俎上に載るのは「お使いがつまらない」というもの。本日はこの言説をふんにゃり考えてみます。ただし、それぞれの思う “お使い” を掲げては平行線の反復横跳びですから、本記事では、

自分でなくてもこなせるタスクを任されることを “お使い” と定義します。

ヒカセンだからこそできる、蛮神の単身討伐やアシエンとの丁々発止などは not “お使い” です。この定義で見ると、メインクエストにおいて純然たる “お使い” はさほど無かったのではと考えます。後述するある要素を除けば、シルフ領でのおいかけっこや珍味集めなども光の戦士へと成長する過程で必要だったと言えましょう。

何故あれらが “お使い” ではないかといえば、プレイヤーが操る冒険者は、生まれついての英雄ではないからです。プレイヤーの自己評価と、ハイデリン世界側の他者評価に乖離が生じやすいから、とも言えます。

英雄を自称するひよっこ

ファイナルファンタジーは、主人公が救世の英雄となる物語が基調のゲームシリーズです。ゆえに、主人公は英雄たる存在と認識したうえでプレイが始められるケースもあるでしょう。けれど、ハイデリン世界の住人からすれば、当初の主人公など街に溢れる冒険者のひとりに過ぎません。この部分で乖離が大きいほど、一介の冒険者が英雄へと至るための歩みを “お使い” と感じるのではないでしょうか。

皇都を救い、東方の解放を成し遂げ、次元を超えた宿命にすら打ち克った光の戦士は英雄です。でもそれは、そうした様々を経験した末の評価。魔導城の爆破すら成し遂げていないヒナチョコ冒険者の使いっ走り扱いはさもありなん。

他方、主人公が最初から英雄や勇者!というゲームや物語も多々あります。過程をじっくり描くのか、前段は省くのか。作品が何を描きたいのか、指向性と同義です。そして FFXIV のメインストーリーは前者を採ります。重ねて申せば、前者だからこそ生まれた大きな大きなカタルシスこそ、漆黒のヴィランズが好評を博した所以と私は考えます。であるがゆえ、逆説的に後者……下積みを省くスタイルとは、あんまり相性がよくありません。

たとえば。クリタワをやらないと水晶公とは初対面です。帝国やアシエンの振る舞いを知らなければエメトセルクが特異だとわかりません。ジャンポを使えばアルフィノの挫折と成長、ウリエンジェがリーンにかけた言葉に込められた万感などなど、わかりません。多くの人々の積み重ねが織り成すストーリーであれば、物語への解像度が粗くなればなるほど、面白さが目減りするのは残念ながら当然です。そうした道程を “お使い” と切り捨ててしまうのであれば、ミスマッチが起きるのも当然なのです。

……というわけで、語弊を恐れず端的に言えば、何者でもないのに英雄気分ならそう感じるかもしれない、と。

“お使い” ではなく。

しかしこの文脈は、そうしたケースよりは、とある要素を誤認した物言いなのではと考えています。それは『尺伸ばし』『時間稼ぎ』『水増し』などとよばれる類の、物語に巣食う澱みのこと。

珍味集めにお話の筋が通っていたとて、幾度も同じ箇所を往復させられる仕組みには閉口した記憶があります。水くみを何度もする物語的な必要性はどこにあるんだ、とか。その違和感や億劫さ、喫緊の事態だのに冗長な展開への不満などなどが、いまそんな場合じゃないよね的な感覚と “お使い” のフレーズが結びついたのではないでしょうか。こうした文脈の “お使い” の真意がそれだったと考えれば、けっこう得心です。

さておき、序盤の尺伸ばしは開発陣反省のうえ改修をしています。後に続く者たちはあの苦労を強いられていないと考えれば、そうした一連の反応も、個人的にはよかったなぁと思います……みたいな感じで良かったかもしれませんが、昨今の情勢を鑑みると、どうも問題の根っこはそこまで単純な話ではない気もするのですよね。

映像作品や漫画を “履修” するという表現。エンターテイメントが溢れ、娯楽の洪水が可処分時間を奪い合う世界。摘発事例もある「ファスト映画」と呼ばれる仕組みの発生なども、レビューと口コミによる “わかったつもり” が価値を持ち、幅を利かせる社会の縮図のように思えるのです。消化しやすいものが喜ばれるから、複雑な背景を忌避するような。なんか、そういう風潮がうねっていそうだなぁなんて。

それはそれで嗜み方のひとつだし、そういうスタンスもアリなのだけれど、それだけでは埋もれてしまう宝物もあると思うのですよね。どちらの良さも悪さも理解したうえで、いま自分が選ぶのは何かを意識したいきもち。そして、自分の持っている尺度が世界のすべてではないという意識も大事ですよね。

おしまい!

だいぶとっちらかりましたが!私の考えすぎとか、昨今の世情を自分のわかる形に当てはめたいだけとか、いろんな可能性があります。”お使い” の定義にしたって、異論のある方がおられるかもしれませんし。

いずれにしても、私ができることは、積み重ねの先にある、手繰りよせて紡ぎあげた結末に価値を見出すことかなぁと思っています。くわえて、そういう楽しみをしている方に、このブログが居心地の良い場所になるといいなぁとも思っています、なんてお話で強引におしまいにします!!

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