「零式の練習パーティでクリアしそうになったから、わざと妨害してクリアを阻止」なんてお話がほんのり話題になりました。そこまでではないにせよ、私も幾度か似たシチュエーションに遭遇しています。練習はしたいけどクリアはしたくない、と。
練習したいけれどクリアしたくない、という考え自体は何も悪くありません。クリアできるならしたい人とクリアしたくない人の双方が、それぞれ自分に都合の良い状況を望みあっただけなのです。
前提
「零式」というコンテンツはいろいろ特殊です。高難易度であるのみならず、戦利品の取得制限もあります。火曜日を基準としたその週に一度だけロット権があり、クリア後は次週までロット自体できません。さらに、その週クリア済みのプレイヤーは『お手伝い』扱いとなり、その週で未クリアの人の戦利品を減らしてしまいます。
つまり「フレンドと一緒になるべく多くの戦利品を得てクリアしたい!」となれば、一人だけ別のところでクリアしてしまうのは悪手。よって、このパーティではクリアする気はない、という立ち位置が生じるのです。
大前提
人間は、相手を無言のうちに理解しえません。なんらかの表現やアピールが必要です。ましてオンライン上でならば、現実世界よりも伝わる情報はずっと少ない。伝えなければ伝わらないわけですね。伝えても伝わらないことがあるくらいなのだから、しっかり伝える意志と努力が必要です。
そして、伝えようとする姿勢と読み取ろうとする姿勢が双方になければ、コミュニケーションや会話とは呼べません。ただでさえ伝わりづらいオンラインでそれが起きればどうなるかは、まぁお察しの通りです。
『あわよくば』は不幸の源。
冒頭の一幕も、出発前に「いけそうならクリアします」「すみません、クリアするのは都合が悪くて」なんてやりとりがあれば回避できたでしょう。簡単なことですよね。でも、それを妨げるのが『あわよくば』の気持ち。あわよくばクリアしたい。あわよくば練習を重ねたい。あわよくばそれらの折衝をせず、理想条件のパーティだと都合よく進めたい。
練習パーティはクリアが最終目標なのだから拒絶するのは不適切!とか、明記していなければクリア拒否の権利も認められるべき!などの主張があります。ただ、これは単純に純粋に、会話不足の事象です。後から双方のスタンスを表明しあったところで、文字通り水掛け論に過ぎません。
常識は偏見の塊。
科学者のほうのアルバートは『常識は偏見のコレクション』と語りました。もう少し噛み砕いていえば、思い込みとか、自分の好みと言えましょう。練習パーティならクリアしたいのが普通というのも、練習目的ならクリアしないのが当然というのも、どちらも思い込みで、相手不在の自分好みです。
クリアしたくない側は「練習パーティなのだからどこかでミスが起きてワイプになるだろう」と踏んだうえで、自分の都合を明かさずに潜り込むのかと思いますが、それもまた思い込みなわけですね。
ならどうするか。
具体的な対策は『パーティの募集文に明記する』『出発前に確認をする』くらい。簡単です。そして、簡単ですけれど、その手間が面倒くさいから、あわよくば自分の主張に沿うかたちで常識や暗黙の了解が形作られればいいな!と考えるのも無理からぬことです。人間だもの。
そんな、強めの言葉でいうところの『お互いの怠慢』によって引き起こされたわけで。プレイ人口の増加による多様化を鑑みれば、事前確認が重要ではないかな、と思います。
おわりに。
クリア目的パーティに参加しながらクリアしたくない!とか、クリアしないと書いてあるのにクリアしたい!とか、そういうのはもちろんダメ。場合によってはプレイの妨害で運営からペナルティを喰らいかねません。でも、そこのあたりをおざなりにして、重要なことなのに横において、あわよくば……に支配されたとき、こうした事故が起こります。
新しい価値観や立ち位置は、既存のそれと利害がバッティングすることも多く、今回もそんな感じ。でも、だからといって拒絶して排斥するのはあまり好ましくありません。上手に折り合いをつけるために、事前の確認とコミュニケーションをしていきたいな、と思う拙者でございました!
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