あんまり楽しい話題ではないのでさくっと終わらせますけれど、ネットニュースやTwitterなどで話題になった案件などを含め、インターネット上での「誹謗中傷」が取り沙汰されています。
【ヒ・ボウ中将】
古代アラグ帝国のミコッテ族将兵。文民統制派の急先鋒で、個人否定や人格攻撃をまじえた管理を得意とした。徐々に過激化し、最終的に「ザンデ陛下は体がデカすぎて移動の邪魔」の一言により死罪に処された。(出典 … アラグ帝国の興亡と闇)— 松乃雪 (@Matsu_no_Yuki) May 25, 2020
₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎……さておきまして。
境界を知ろう
「議論」と「言い合い」が違うように、「批判」と「誹謗中傷」は違います。事実にもとづき、推測や過剰な表現をせず、攻撃的な姿勢をとらず、真摯に指摘する姿勢があるかどうか……などなど色々あるのですが、まあ、つまり違うんですね。私自身、ひとさまに指導できるほど身につけられていないため偉そうなことは言えないですけれど、知らなかったら知っていけば良いのです。
知る人が一人でも増えれば、巡り巡って住み良い世間になります。ただ、誹謗中傷はよくないけれど、誹謗中傷の誹りを恐れすぎて、相互発展となる議論が萎縮するのもよろしくありません。それは境界を知ることで解決できる問題ですので、臆せず、されど慎重かつ丁寧に、過去を顧みながら、成長していきたいものです。
DPS出せるようにしておこうね
ただ現実として、誹謗中傷と呼ばれるほどの行為は「わかったうえで」なされることも少なくありません。こころ優しい、攻撃しやすそうな人を狙う卑劣。であれば「こいつは攻撃しにくそうだな」と思わせられればいいんです。痴漢被害に度々遭っていた女性が髪を金色に染めたらパッタリ被害が止んだ、という事例と通底します。
被害に遭う前の対策、遭った後の対処、具体的な行動はいろいろとありますが、向き不向きや得手不得手もでてきます。そのあたりは各個人でカスタマイズしていただくとして、最終手段である訴訟、賠償請求の知識を身につけておくと「まぁ、これ以上してくるなら社会的に消せるし……」の余裕が出てきます。
素性も明かさず難癖つけてくる輩は人間としてまともではないくせに自分の欲望の達成可能性には敏感なので、優しい人を狙って攻撃するし、せっしゃみたいに「脇の甘い輩から粘着されたら民事賠償請求できるのになぁ」みたいなことを考えるひとのところには来てくださらない
— 松乃雪 (@Matsu_no_Yuki) May 23, 2020
私は、被害に遭っても決して泣き寝入りせず、法が定める限りまでやり遂げる決意があります。たとえ自分の懐が傷もうと、徹底的に追い詰めます。引きずり出して吊るし上げます。そのために「不法行為による損害賠償」の要件や必要な手続き(犯人を相手取った訴訟を起こす前に内容証明を送るなど)を調べたり。
もちろん、この知識が使われないことを祈るばかりですけれど、どうしても火遊びをしたい!自身はおろか親族や類縁すら巻き込んで丸焦げになってもいい!という覚悟をお持ちなら、こちらは準備ができてござる₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎殴っていいのは殴り返される覚悟のある者だけにござる。
……そんな心構えをしておければ、卑劣漢は自ずと遠ざけられる、ということ!
自分を守れるのは自分
社会を構成する個を守る仕組みがあれば良いのですけれど、テクノロジーの進歩に法整備……なにより使う人間の成熟が追いついていないのが実情です。便利さはとても大きいけれど、その弊害もまた肥大化してきます。
ならば、自らを守るには自分の力が重要。正当防衛の範疇で、理路整然と、同じ土俵に立たず、制することができる力も蓄えていきたいな、と思うせっしゃでございました!
法律は弱者を守るためにあると世間一般は思ってるが、そうではない。
という話を聞いたことがあります。
法律は、法を学び活用する者のためにある……が核心にちょっとは近いのかなぁと思ったりします。その活用先が良きにつけ悪しきにつけ₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎
素性も明かさず匿名で←これを「危険」だと認識する人間は、マイノリティなのでしょうかね…
まったき無価値なモノに非ざるのは事実でしょうが、コレが助長する弊害のなんと多いことか。
モニター越しの世界ならば、平気で偽りや暴挙をなせるのか。
或いは、世知辛い憂世を、吐かずには渡れぬ嘘を、打鍵する手間が省けてメンドクナイヤッター!と思うのか(例えが極端スギィ)。
とまれ、入射光は正反対のベクトルでお返しするのが筋でしょうなぁ。
「目には目を、歯には歯を」量刑の大原則に法って、過小でもなく、過大でもなく、ね(キラリ)
「匿名」「オンライン」などのステータスに対する認識過誤が大きそうです。本来は危険でも安全でもないのだけれど、認識を誤っているから使い方を間違って相手や自分が大怪我、みたいな。こればかりは連綿と人間社会が営んできた「淘汰もやむを得ぬレベルの個体を犠牲にして同じ轍を踏まぬように学習する」に従い、そういうことをするとこういうふうに大変なのでやめましょうね!の標本になっていただくのが、その個体が社会に最も貢献できる道なのだろうなぁと思うせっしゃです₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎れくす・たりおにす。
>「淘汰もやむを得ぬレベルの個体を犠牲にして同じ轍を踏まぬように学習する」
その結果が、人が死ななきゃ動かない社会へとなったわけですね。
とはいっても、学習してるとは到底思えない(誹謗中傷による自殺は昔からある)
ウイルスのように人の悪意も変異して標的を探すためだろうか。
「学習しているとは到底思えない」というのはきっとご指摘の通りで、おそらくは「歴史は繰り返す」に着地することが圧倒的多数と思いますね(:›_ヽ)_昨今の「人種差別デモ」しかり。
とはいえ、変化に繋がるとは到底思えないような小さな積み重ねや変化が契機となることもまた正ですから、そちらに気づけるような心持ちでいたいなぁという気持ちが含まれております。