先週のエントリ(→ドマがくれたもの。)を受けての発展記事でございます。
本題前に予め脱線しますと、励ます意味のドンマイは、和製英語。本来は「○○してもいい?」に対する返事として用いられる表現で、原義は「(私は)気にしないよ・構わんよ」となります。
よって、日本国内での感覚のまま「Don’t mind!!」を使ってしまうと、相手からは、薄情なヒトだなぁ……なんて、ちょっとモヤっとさせるかもしれません。
なら、どう言えばいいかといえば、戦士スキル「シェイクオフ」の定型文です。こちら、英語表記では「Shake it off」となり、スラングではありますが、まさに「気にすんなよ!」の意味になるのです。
……もっとも、「気にしないでください。」(Don’t worry about it.)の定型文があるんですけども。ドマの流れからね、ね。
といったところで本題。ひとくちに「ドンマイ」とは申しますが、果たして本当にドンマイと声がけをすべきなのか。
そもそも、ドンマイとはどんな意味や気持ちで使うことばなのか。そのあたりを、今回は深掘りしていこうと思います。
学生時代、私はチームスポーツに勤しんでおりまして。ちょっとしたミスや行き違いなどが発生するたび、ドンマイドンマイの励まし合いであったわけです。すばらしき青春の思い出。飛び散る汗。夕焼けに駆け出す僕ら。
ただ、次第に、こうも思うようになっていきました。
「ミスを気にするな、ってぇのはどうなん?」
「気にしてないと次にも活きないんとちゃうか?」
と。
それ以後は、「切り替えて行こう」といった声掛けをするようになりました。当時、そして今も、気にするな!という言葉のなかには、起きたことを忘れよう、なんてニュアンスを、私は感じていて。
それはそれで悪いことでもないのだけれど、忘れることなく、気に留めていることができれば、より良いんじゃないかなって。
無論、そのような意図を含まずに使う方が多数おられることもわかったうえで、私はそう聞いて、感じて、考えてしまうわけですね。(突如ハイデリン
気にするな≒気に病むな、を伝えたいのかな、とも思います。失敗に囚われ、前後不覚になってしまうのはよろしくない。
であれば、忘れるくらいの勢いで、ガッと切り替えてしまえ、と。……けれど、それなら「気に病むなよー」と言えば良いよなぁとも。
あるいは、少なからぬヒトは、切り替えて次!を意識しても、引きずってしまうものです。
それを断ち切るため、あえて切り捨てるようなニュアンスを持たせるのかな、と。個人的には、こちらがつよいような気はしています。
では、ドンマイとは無思慮で乱暴なことばなのか?といえば、それはちがう。「そんな失敗なんて忘れちまおうぜ!」のシチュエーションは、確かに存在します。
FFXIVのコンテンツでいえば、
・周囲のカバーが効く(悪影響の小さい)こと
・理解度や熟練度が充分ながら、操作ミスや判断ミスが起きた
のいずれかにおいて
・「ミスった、ごめんねー」「やらかしましたすみません」等の表明があったとき
です。
チャットが不慣れっぽい方であれば、無言であっても例外ですけれど!上記にあてはまっていれば、私のドマシリーズが火を噴くワケです。つまりは、大抵のシチュエーションで、私のドマシリーズは大活躍なワケです。
ということは反対側、周囲のカバーが効かない(悪影響が大きい)レベルで、理解度や習熟度が足りず、失敗の自覚や認識ができていない場合には、「ドンマイ」は不適と考えます。
高難易度コンテンツにおいて、失敗を失敗として理解できてなかったり、あるいは気にしていないようであれば、「気にするなよ!」は、ちょっぴり的外れだったり、暖簾に腕押しだったりするわけです。
特に前者で「忘れよう!」なんて、せっかくの成長チャンスが水の泡。
こういうときは、声掛けをするならば「いまのところ大丈夫ですか?」とか、別のアプローチが適していることでしょう。
また、普通のインスタンスダンジョンや蛮神戦のような、失敗の悪影響なんていくらでもカバーできるし、初見でこそ楽しめるようなものであれば、これまた私のドマシリーズが唸りを上げて雪崩れ込むわけです。
当人が「何がわからなかったのかが分かっていない」としても、状況は発生しているのだから、ソレに対してドマシリーズを捩じ込むわけです。
朱雀ちゃんの記事でも書きましたが、忘れることは簡単なんですよね。自分のことではないから、他人へはいくらでも簡単に「忘れなよ」と言えるけれど。失敗や誤ちを抱えて前へ進む、その姿こそが尊いのです。
キレイでもスマートでもなく、傷だらけのしわくちゃかもしれないけれど、それこそが「歩んできた道のり」として、愛おしいものではありませんか。
であればこそ、闇雲に「気にすんなよ!」とは言いたくないし、本当に使うべき時が来るまで、その言葉をとっておきたい。そんなことを思いながら、今日も私は
を投げつけるのでありました。
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