1. 随筆
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What do I want?

たとえば、誰とごはんを食べるかということ。たとえば、どんなお仕事で生きていくかということ。たとえば、このようにブログを書くということ。たとえば、オンラインゲームであるFFXIVを遊ぶということ。

思いつきか、惰性や慣性や外圧によってなのかに関わらず、自らが「行動した」という結果は、揺るがない事実として残ります。

その足跡は自分に紐付き、さまざまな時と場所、目線や捉え方により、折に触れて評価したりされたり、されなかったりします。

 

まあ、その、なんというか、大きなお世話だと思うんです。本人のことは、本人のことです。他人に影響を及ぼすことはもちろんあるし、その波及度合いを測る能力も含めて、本人のことです。

その時その時で考えていたことがあったり、あるいはノリとテンションで突っ込んだりしているのに、したり顔で、あれはどうだ!これはああだ!みたいな評価をされるんです。筆者の気持ちを他人が勝手に考えてマルバツ、みたいなアレ。

……あれはあれで、社会レベルの共通認識を養う等の観点からは~、みたいな話はさておき。

個人的には、そんなに他人をキョロキョロ見ていられるなんて余程の……なんて話もさておき。

 

かといって、他人を変えることは無理です。自分好みの結論に誘導する……のは、できなくもないけれど、難しいとかコスト云々ではなく、文字通りに理がありません。

なにより、自らは、自らが認識すればこそ自ら足り得るのであり、重要なのは他者評価ではなく自己評価である……と、私は考えます。つまり、他人を変えようなんてのは、骨折り損の草臥れ儲けもいいところ。

他者評価は、他人と環境はいくらでも取り替えられる以上、水物です。他者評価に一喜一憂するのなら、花占いでもするほうが上等。その一瞬の参考にはなるけれど、決して主体としてはならない類です。

一方の自己評価は、いまの自分という枠での判定に過ぎませんが、その分だけ、評価対象との”枠が近い”から、ピンぼけしづらい。どこかの誰かさんへのプレゼントではなく、自分のために自分で作る品なのだから、このほうが実用的です。

また、ならば自己変革とはマヤカシかといえば全くそうではなく……などの話もさておき。

 

 

何が言いたいのかといえば、

「なぜ自分はそうするのか?」

「自分は何をしたいのか?」

を考え、自分と対話し、決めていくのが大事。自分で決めることが大事。

「自分」とは、これまで生きてきた経験や知恵の集合体です。そのモノサシで今の自らの状況を鑑みると、どうなのか。

無論、たった一人の人間がしてきた経験なんて、たかが知れています。過大評価をしてしまったり、過小評価に陥ることも常でしょう。

自信満々で下した決断が大ハズレだったり、その逆だっていくらでもある。

けれど、自分で決めることによって、

 「自分が選んだ結末だから」

 「結果を正面から受け止められること」

ができるのです。

他人に背負わされる責任ではなく、自らで選び取れる責任です。これは、何よりも得難いモノ。

その過程で、家族や友人や書籍etc、他者を活用するのも知恵。そういった繋がりや視野も、自分の一部です。

ただし、決断は誰でもなく自分でする。決定ボタンを押すのは自分、トリガーを引くのは自分。

 

こんな風に偉そうな筆致の記事をブチ上げる私も、決断の場面で、それこそ星の数ほどやらかしてきたわけです。

でも、枕に顔をうずめて足をバタバタさせながら受け止めて、その帰結として今この地点に立っているのです。

1年後か3年後か、あるいはもっと先になったとき、あぁーこんな記事書かなければ良かった!となるかもしれないし、こんな記事書いとったんか……ウチ天才やろ……となるかもしれない。

それはその時の私=今の私から見れば他人にお任せし、今の私は、今やるべきだと決断したことをやり、今やるべきでないと決断したことをやらないのです。

……ということでこの記事、続きそうな気がします!!

 

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