称賛の最上級表現として用いられることもありますが、今回は原義どおりの意味です。エオルゼアにおける神。
神といっても、絶対的唯一神、開闢の神祖からトイレの神様までの八百万に連なる者、権能の有無など、様々に定義されます。彼はエオルゼア創造の最終決定者で、世界のあり方を定める以上、唯一神≒創造主として良いでしょう。彼の上には重役や株主が~なんてお話は神々の黄昏に踏み込むため省きます。
ともあれ、エオルゼア世界について考えるとき、彼のポジションは「神 (創造主)」がふさわしい、と私は考えます。ついでにざっくり進めると、エオルゼアにおいて、彼の発言は絶対なんですね。
「絶対」
なぜ絶対か。答えは単純で、神の言葉だからです。……ヘンに曲解されると困りますので念のため言明しておきますが、あくまで神とは比喩表現ですのでね。真実の吉田氏は四十路のジャラおじです。
「盲信は危ない!」というのも一見そのとおりながら、なんせ神のお告げです。盲信程度のレイヤーではなく、世界の決定事項、確定事象として降りてきている以上、内容を吟味して判断する余地はありますが、信じる信じないの次元ではありません。その決定や発言ひとつで、エオルゼアの国は崩れ去り、星は焼け落ちます。ゲーム内にとどまらず、ゲームを利用するうえでの決まりごとでも同様です。彼が白と言えば白、黒と言えば黒、言明していなければ未確定なのです。その秩序に疑念を挟むことはできません。
彼自身が語る PLL などでは、伝える言葉を選ぶ様子をよく観察できます。自己認識は私の言うところの「神」ではないだろうと推測しますけれど、自らの一語が重みを持つことは強く認識されているように感じます。それだけに、つい先日語られた内容は、たいへんに重要で、大きな意味を含んでいるのです。
「信仰」
核心を前に、私たちはどうあるべきか。
付き従うのも、見放すのも自由です。ユーザーとベンダーの関係でもあるため、契約と規約さえクリアであれば、身の振り方は自由。
神の所業に愛想を尽かし離れるのもアリで、信仰せずとも秩序に違反しない範囲で好き勝手するのもアリで、まさにここが理想郷だと味わうのもアリで、この神はこんなに素晴らしいのだと布教するのもアリです。それぞれ自由であり、神様だからと敬って傅いて奉る必要や義務はありません。神は神ですが、現実世界での各種宗教と同様、別の神様へ改宗する自由、棄教する自由は万人にあります。つまりそれぞれ別ゲー移住や引退です。
「嫌なら辞めろ」という物言いは、その自由な権利の選択を押し付ける意味で前時代的と言えますね、なんて話はさておき。
どこを評価してゲームを遊ぶかは、十人十色です。遊ぶうえで彼を好む必要はなく、彼の方針に同意する必要もありません。利用規約さえ守っていれば立派なユーザーです。逆に言えば、彼を心から慕い肯定していようと、利用規約を守らなければ、ただの違反者です。異端者でもこの世界には居続けられるけれど、違反者になれば殉教者でも You BAN。
光と闇、どちらの狂信者にもならぬよう、お互い気をつけましょうね。
「秩序」
本題。
先日の PLL において、ツールや MOD に関して言及がありました。当ブログでも折に触れ扱ってきましたが、公式の見解、エオルゼア世界としてどうあるべきかが示された格好です。それも、神から直々に。私見は折りたたみの中で述べるとして、法規に則った運営をする以上は当然そうですよねという印象です。
秩序は定められました。定められた秩序を受け、どう聞いて感じて考えるかは私とあなたの自由です。そして、考えた結果、どう振る舞うかも自由です。蛇足ながら、今回の表明を受けても、私の考えはこれっぽっちも変化しませんでした。もし今回の件で何かお悩みの方がいらっしゃれば、よろしければ以下をご参考いただけると、何かヒントになるかもしれません。
吉田直樹はエオルゼアの神です。私たちはそのもとに自ら集ったひとりの集団です。それぞれを過大にも過小にも評価せず、それぞれの立場の違いと成すべきことを把握し、それぞれの善き塩梅に世界が回ることを祈念し、本記事の結びとさせていただくでござるァ!
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