さまざまな物事には「上手」「下手」の区別があります。FFXIVも、例に漏れず同様に。
ならば、FFXIV……ゲームにおいては、どういったモノが上手で、いったい何だと下手で、そもそも上手とか下手ってどういうこと?
……を、ふらふらと綴ってみようという記事の、第一回。つまり何回か続きます。
さて。「ゲームの上手さ」と一口に言うと、すごく抽象的です。……開幕直後にタイトルぶち壊しですけども。
それでも、範囲が広く、ぼんやりしたものを扱えば、個々人の認識のズレによって、シルエットがぼやけてしまう。
あなたと私で、着地点が磐田と浜松になってしまう。(突然の静岡県西部
それは望むところではありませんので、まず手始めに、私個人が考える、上手さや下手さをつかさどる要素を挙げましょう。
それは、操作力、理解力、選択力のみっつ。これらが密接に関わりあい、「うまさ」を形作ると考えます。
何のコンテンツをいつクリアした等はかんたんな目印ですが、それは上述3つでもって辿り着いた地点に過ぎず、「上手さ」の観点から見れば、副産物にあたると考えます。
ゆえに、まずはこの3つを紐解いてみましょう。
最初に、操作力。コントローラやキーボードといった機器の扱いの巧拙のみならず、その技術を発揮するための瞬間的な判断力も含まれます。
操作力は、3種のうちで最も可視化されやすいちからです。ミスをすれば低いとされ、ナイスプレイがあれば高いとされるモノ。狭義では、操作力の高低こそが「うまさ」の尺度かもしれませんね。
続いて、理解力。システムや仕掛けに対してはもちろん、自身や周辺への理解も含まれます。操作力に含まれる瞬間的な判断力とは異なり、パズルを解くような、深みや厚みといったベクトルのちから。
わかりやすいところは、コンテンツでのギミック理解でしょう。単純な記憶ではなく、セオリーや定石と対応を理解したうえで、上述の操作力を動員し、理解力を発揮させ、クリアしていきます。操作力がナイスプレイの表面で、理解力は裏面であるわけです。
最後に、選択力。これは(言葉のチョイス的に)ピンと来ない方も多そうですが、自分にマッチするものを選ぶちからです。個人的にはこれが最重要で、すべての根源だと思っています。
ひとつひとつの状況ではなく、もっと大局的な、自分の意思で何を選ぶのか?を決める場面で必要となり、その判断をできるだけ間違えないちから。
いまの自分に必要ではないから無理に手を伸ばさなくて良いやーとか、自分の嗜好とはマッチしないから触らなくていいやーとか、これは後々の自分に繋がるだろうからやっておこうーとか。適切に取捨選択をできるかどうかに関わります。
選択力でもって選んだ道を、理解力でもって咀嚼し身につけ、操作力でもって踏破する。
そして、この道程を見事成し遂げたとき、「うまい」と評されるのではないでしょうか。
……といったところで、第一回はおしまいです。まずは定義の礎となるものを、ドドンとお披露目。次回からは、3つのちからそれぞれを、詳細に扱ってみましょう。
2018/12/30 追記
次回 → ゲームの上手さ、とは。 – 第二回
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