※本記事は侍クエストの核心事項を扱います。閲覧注意にござるよ!
はじめに
本連載「侍の足跡」は、侍ジョブクエストを振り返り、追体験するものです。NPC の発言を網羅し、あのとき光の戦士を取り巻いた状況を、改めて確認していくのが目的。その後、私なりの感想や考察などを書き記しますので、理解の種や他山の石としていただければ幸甚に存じます。
侍としての第一歩が、ここから始まります。[+] を押すと当該シーンの画像がべろんと出てきます。文字起こしはその後に。大変縦長になっておりますのでご注意くださいませ。
画像をクリック or タップすると拡大表示、画像の右半分をクリック or タップで次の画像、左半分では前の画像に移ります。スマホは横向き表示がおすすめ。マウスはホイール操作にも対応しています。ご活用くださいね。
今回は、侍ジョブ取得クエスト「侍への道」と侍 Lv50 クエスト「老剣豪ムソウサイ」の二本立てです
ジョブ取得クエスト「侍への道」
侍Lv50クエスト「老剣豪ムソウサイ」
私見や考察
記念すべき侍としての第一歩がこれら二つのクエストです。「侍への道」をクリア後に「老剣豪ムソウサイ」をそのまま受けられますから、間髪を入れずに進めた方も多かったのではと思います。そしてこのクエストでは、ムソウサイが願う侍の姿……FFXIV の侍が抱くべき志が語られます。
太平の世で刀を持つ侍には責任が伴う。それは、平和を維持すること……。二度と乱世に戻さぬためには、秩序を保たねばならぬ。だが、調和を乱そうとする悪は尽きぬもの。そんな不埒な悪を成敗し、太平の世を護ること。これこそ、刀を持つ者の責務、侍の大義なのである。
力ある権力者の闘争に、力なき民が巻き込まれる。力に押さえつけられた者が、力による報復をなす。その連鎖が、乱世の姿です。かつて乱世を平らげるために生み出された「刀」は、乱世の平定を経たいま、ふたたび乱世へ逆戻りさせぬため振るうべきであり、大義による行動が重要だ……と。
ここで気をつけるべきなのが、正義と大義は違うモノだということ。どちらが良い悪いはこの場では扱いませんが、私としては、自らが掲げるのであれば、それは正義ではなく大義と呼びたくはあります。
世を乱さんと目論む者を成敗せしめるのが侍の責務であると同時に、世を乱さぬために必要悪を呑み込める度量と見識、大義が必要です。いうなれば、大義のために正義を犠牲にできるか。事象だけを見れば、人を殺めることにほかなりません。それでもなお、泰平の世を護るために成敗せねばならないのです。
……難しいですよね。手垢のついた表現ですが、正義や悪は人の数だけ存在します。泰平の世と言っても、どのような温度で、どんなシルエットで、どういった息遣いの世界なのか。大枠こそ一致すれども、細部の共通認識はないでしょう。平和や幸せのかたちが各々で違い、それを成す手段もまた違うように。であればこそ、大義でもって、正義や悪を飲み込んで、太平を護る気概が重要なのだと考えます。
ムソウサイが説いた心得は、紅蓮編の終幕までを一本に貫くテーマだと私は認識しています。そしてムソウサイには、この志を信じて貫くだけの強さがありました。同時に、ウゲツ……冒険者の兄弟子であり、ムソウサイがエオルゼアに渡る原因となった彼もまた、ムソウサイの教えを忠実に修めるだけの技量を持ち、その崇高な志も理解した。……理解したのだけれど、理解の方向が異なっていたのです。
ゆえに、ムソウサイをはじめとした人々の大義、矜持、悔恨……人生を巡らせる歯車は、どこかチグハグに回ることとなりました。そのひとつが、コロセウムでの見世物だったのでしょう。そこに光の戦士という大きな歯車が噛み合ったことで、彼らのすべて……侍という存在の在り方、侍という存在に重ね合わせてきた各々の在り方を巻き込み、音を立てて軋みながら、収束するかのように動き始めたのです。
しかし、まずはムソウサイが言う通り、光の戦士は侍としての修行を積むこととなります。ムソウサイの言う「悪を成敗」した先に何が待ち受けているのか。自身の見出すべき大義とは何か。様々な思惑が交錯するのは、もうちょっとだけ後のお話。
次回、弐之巻・砂都を蝕む高利貸の罠!
この記事へのコメントはありません。