1. 随筆
  2. 7376 view|最終更新 21/12/31

ランジート将軍を整理したいと思う。

本記事は Patch 5.1 までのネタバレを含みます。第一世界の冒険をまだしていない方は我慢するでござる!

前回同様、整理をつけてから書き出したのではなく、整理をつけるために書いております。文字数は多いし、理路整然レベルはゼロだし、読み物として面白い保証はありません。あくまで私の内にあるランジートなる存在に整理をつけるための記事です。私の解釈は私の解釈で、あなたのそれもあのヒトのそれも、間違いがあったとしても誤りはないと考えます。この記事は、ひとつのかたちです。

……もういちどお伝えしますが、おもしろい読み物である保証はございません。だいじなことなので二回いっておきます。それでも読むというのなら好きにするがよいでござる!

 

 

はじめに。

第一世界において、光の戦士改め闇の戦士となった主人公と「光の巫女」の前に幾度となく立ち塞がってきた、ユールモア軍将軍ランジート。いろいろと論点がある人物ですので、それぞれさくさくっと定義していきます。

主人公より強い?

主人公はバケモノ級、ランジートも同様で相違ありません。クリスタリウム衛兵団団長のライナをして「老いてなおこれほどとは!」と感嘆せしめる実力の持ち主です。ベースの戦闘力が拮抗しており、その時々の思いの丈や意志の強さによって、あちらの上回るタイミングがあったり、こちらの打ち勝つタイミングがあったのではないかと思います。そうした「心の揺れ」は、実力が拮抗するほど影響を及ぼします。明鏡止水の心ゆえに、ひと雫がもたらす波紋はとめどなく打ち寄せ、僅かな揺れも大きなうねりとなるのです。

……さておき、強さとは絶対的なものではありません。体調や装備の具合などでも大きく左右されますし、前述のような精神状況で容易にひっくり返ります。そういうブレ幅を小さくすることが達人の業とはいえ、口でいうほど簡単ではないことくらいは、想像がつきますよね。

なんか使役してた?

彼はノルヴラント外にある文化圏の氏族で、秘伝の武術を修めていたとされます。その秘伝で従えるは「グクマッツ」と呼ばれる幻獣らしきふしぎなヘビちゃん。このヘビちゃんから力を引き出したり、連動するバトルスタイルです。ちなみにグクマッツはマヤ神話の創造神で、アステカ神話のケツァルコアトルと同一存在とされます。すごいの従えてござるな将軍殿。

「ランジート」という名はインド文化圏の響きがあります。証拠のない妄想ですが、ノルヴラントのずっと東、エオルゼアでいうアラミゴよりも東側にルーツがあるのかなと感じます。第一世界では光の氾濫により百年前に滅した土地であり、彼に世継ぎがいなかったならば、グクマッツ使役術は失伝してしまったのかもしれません。

ユールモア軍ってどんな組織?

20年前までは「世界最強」と謳われる軍隊だったようです。ランジートの父もまたユールモアの将軍であり、少なくとも二代続けてユールモア軍を率いています。しかし20年前、ヴァウスリーが元首となり、罪喰いとの争いは立ち消え。そこからはおそらく、治安維持部隊として運用されてきたのではと推測されます。

ランジート以外のユールモア軍は、ドリームパウダーで昏倒させられたり、イル・メグに突入したら草人にされたり、古代文明の遺跡でお約束のトラップを踏んだり、描写としてはなかなか厳しい役回りを強いられます。ただ、ランジートの力量が大きかったとはいえ、現役で罪喰いとやりあっているクリスタリウム衛兵団とも互角以上であり、決して「錆びた剣」ではなかったといえましょう。

第一世界の「光の巫女・ミンフィリア」について。

それでは本題です。ランジートを語る上で重要となるのが、光の巫女と呼ばれる存在。ある意味、彼の人生は、光の巫女とともにあったと評して過言ではありません。ユールモアが先代元首だった時代……罪喰いとの戦いで最前線にいた頃は、光の巫女の親代わりとして、成長を見守り、共に戦場を駆けもしました。そんな彼が、生粋の武人である彼が、なぜ「戦わない」ことを良しとしたのか。その理由が、光の巫女を巡る境遇にあります。

光の巫女はさまざまな点で一般の人間とは異なりますが、その発見経緯から「罪喰い化への耐性」が特筆されました。罪喰いとの戦いを繰り広げるユールモアにとっては驚くべき能力であり、ぜひとも戦力にしたい異能だったといえましょう。しかしながら、いくら異能を備えていたとて、基本的には少女です。ランジートのように特別な武術の才があるでもなく、英才教育を施そうと、危険は十分にありました。結果、多くの光の巫女が罪喰いと刺し違えては命を落としたとされます。時系列で整理してみましょう。

100年前

光の氾濫が発生。「星の代弁者」として第一世界に旅立ったミンフィリア、氾濫がノルヴラントへ到達する前に阻止。この際、同行していた (魂の存在となりミンフィリアと共に第一世界に戻ってきていた) アルバートが「ミンフィリア!」と呼びかけた声が現地の人々にも伝わり、光の氾濫を止めた「金の髪に水晶色の目をした女性」が光の巫女・ミンフィリアと認知される。

85年前

罪喰いの襲撃を受けたフッブート王国にて、罪喰い化に耐性を持つ少女が発見される。光の巫女と同じ風貌をしていたため「ミンフィリア」と呼ばれる。罪喰い討伐の主力であったユールモア軍と合流し、多数の戦果を挙げるも戦死。死の間際「ミンフィリアはまた生まれてくる」と言い残す。

75~80年前?

遺言通り、光の巫女と同じ特徴と性質を備えた少女が発見される。前代と同様にユールモアに保護され、成長と同時に罪喰いとの戦いへ身を投じるが、これもまた戦死する。以後、同様の状況が幾度も繰り返される。

20年前

アシエンの外法で罪喰いと人間の間の子として産まれたヴァウスリーが、先代にかわりユールモア元首となる。ヴァウスリーの「罪喰いを従わせる能力」により、ユールモア都市内であれば、罪喰いの恐怖から解放される。同時に、罪喰いとユールモア軍は停戦。

19~10年前?

当代ミンフィリア (リーン) が発見される。先代までの光の巫女は上述の通り罪喰い討伐のアイコンとしてユールモア軍に扱われてきたが、現在のユールモアは罪喰いと共存しているため、罪喰いを討伐し得る能力を持つ点を危険視。中央塔の地下に幽閉される。

今から3年前

サンクレッドの手引きにより、当代ミンフィリアが脱走。現在に至るまで逃走を続ける。

備考:「ミンフィリア」は何人存在したのか。

書籍『光の巫女の物語』やモーエン等の語る内容から

・85年前の初代
・次に発見された二代目
・当代 (リーン)

の三名は確かながら、二代目からリーンまでのあいだで、具体的に何名の「ミンフィリア」が存在したかは不明です。が、少なくとも「ミンフィリアの三回目の生まれ変わり」ではないのでピクシブ百科辞典くんは適当を言わないようにね……₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎

しかし、では何人だったか?を算定するのは困難です。以下のランジートの発言から、ひとりふたりでないことは伺い知れるものの、はっきりとした数値は出てきません。

かつて我は、拾うたびにお前を育て、ともに戦場に立ち、何百何千もの罪喰いを屠った……。されど世は変わらず、お前は幾度も、幾度も死に続けた!

「幾度も、幾度も」と強調するならば、彼が見送ってきたのは数人程度ではないと推測されます。ですが、仮に10歳の幼さで戦死と転生を繰り返していたとしても、ヴァウスリー台頭後に転生し幽閉されていた当代を15歳と仮定すれば、85/75/65/55/45/35/25/15年前、合計で八代しかいないことに。ランジートが65歳と仮定した場合、彼が見送ったであろう光の巫女は 3~4 人なのです。

絶望の深さを数値に替えられはしないけれど、幾度も幾度もと表現するには、ちょっとばかり違和感を覚えます。転生ではなく憑依のかたちだったとすれば世代数は大きく増やせますけれど、うーむ。

₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎まあ、ええか……!

眩き絶望と、暗き安寧。

ランジートは、ユールモアの将軍です。光の巫女は、ユールモア軍のなかで生き、死んでいきました。ランジートは、彼女の特異性はもちろん、過酷な環境が彼女の命を脅かすこともわかっていたはずです。かといって、罪喰いとの戦いを続けるなら、光の巫女の存在は換えがききません。けれど少女を危険な目に遭わせてもよいものなのだろうか。だが……と、何度も何度も逡巡したことでしょう。

……あの娘に、歩み続けろと言うのか。かように希望なき世界を……。

(いいや、彼女たちはきっと……自らの手で、世界の明日を取り戻す。)

かつての我らも、その夢を見た。結果、幾人の巫女が殉じたことか……!

罪喰いを倒しきれば、光の巫女も救われるはず。しかし、その「夢」がもたらしたものは、積み重なりゆく罪喰いと巫女の屍。若かりし頃のランジートが信じてきた、武によって未来を切り開くことは叶わなかったのです。年端も行かぬ少女に戦いを強いておきながら、犠牲を糧にすることすらできないのか。武人でありながら、不憫な少女を守ることすら能わないのか。余りにも眩き世界で、彼が深く絶望したのは想像に難くありません。

ユールモアの将軍として、罪喰いと戦わざるを得ない境遇。何らかの意志によって、転生と犠牲を繰り返さざるを得ない少女。都市と民を守るために、次々と斃れてゆく兵士たち。長引く戦いによって、困窮していく国家。様々な要素に苛まれ、それでもなお武人として歩むほかなかったであろう彼の前に現れたのが、ヴァウスリーでした。ヴァウスリーは罪喰いを従える力を持っており……つまりは、罪喰いと戦う必要そのものを消失させたのです。罪喰いと戦わなくて良いのならば、光の巫女が死ぬこともありません。

武によって道を切り拓いてきたからこそ、武では及ばぬ境地があることもまた理解しているもの。ヴァウスリーが掲げた理想は、ランジートでは、「ヒト」では辿り着き得ぬ境地でした。しかし、それで光の巫女を救えるのならば。武で光の巫女を救えないのならば、武を捨てねば救えないのならば、捨てるまで、と。

光に満ちた世界へ突如降り注いだ、一層眩しく、何よりも暗い、安寧という名の停滞。だとしても彼は、自身の矜持を擲ってでも、光の巫女が死から遠ざかることを願ったのです。

「死」とは?

……なんだかいきなりスピリチュアル感のある見出しですがご安心くださいね!生物学的な死とは、ざっくり言えば、生命活動が止まったことをさします。しかし、飼い「殺」され、停滞のなかで緩慢な滅びを待つだけのさまも、生物学的な死と対比するところの「社会的な死」と呼べはしないでしょうか。ランジートは、その死を選んだのです。いえ、その死を選ぶことを、光の巫女に強いたのです。

惑わされてはならぬ……ならぬぞ……!お前を苦しみから永久に解き放てるのは、我が主、ヴァウスリーのみッ!戦場は地獄、闘争は不毛……安寧のうちに得る平和こそが、唯一の幸福である。

闘争は不毛。武を極めた彼が言うからこその重みを感じるものの、最終的には剣闘士が言うところの「闘争か逃走か」です。傑出した武人なればこそ感じる、武の限界はあるでしょう。それがゆえに、もう無闇に死なせたくはない、の気持ちもわからなくはありません。けれど、掴んだ手を振りほどき歩み始めた “娘” に我執するのは、ある意味でランジート自身が停滞……ひいては「死」に蝕まれていたのかな、とも思ってしまいます。

現時点ではランジートが間違っていた可能性は高いですけれど、ランジートの道を選ばなかった選択によって、当代の光の巫女・リーンが命を落とす可能性も十分にあります。果たしてどちらが間違いだったのか、判定は歴史が下すことでしょう。ただ、光の巫女本人が考え抜き、納得して選んだ道であったのならば、例え道半ばで倒れ……その選択が間違いだったと断じられようとも、決して過ちにはなりません。これは、自らの志を貫いたランジートの死についても同様。間違ってはいたけれど、誤ってはいないのです。

脱線: ヴァウスリーについて。

ランジートのみならず、ユールモアならびにノルヴラントへ多大な影響を及ぼしたのが、ドン・ヴァウスリーの台頭です。ヴァウスリーは、アシエンの介入によって生み出された存在でした。先代元首の妻が身籠っていた胎児に大罪喰いを「使い」、誕生したのがヴァウスリーなのです。生まれながらに罪喰いを従える異能を持ち、その異能でもってユールモアの不可侵を成立させました。

わかりやすくいえば……というか物語の中で「イノセンス」に変容したように、ヴァウスリー=大罪喰いです。大罪喰いだからこそ、その序列下にある罪喰いが従っていたわけで、つまりユールモアは罪喰いが元首だったのです。どこよりも罪喰いを屠ってきた国の元首が仇の親玉に挿げ替わるとは、なんたる皮肉。そしてランジートは、ヴァウスリーが人ならざる存在だと勘づいていました。

人は、人であるかぎり……そして、正しく在ろうとするほどに、戦から逃れられぬ。なればこそ、正しくなく、ただの人でもない……そんな男の掲げる平和に賭けたのだ。

流石に罪喰いと同義であったとまでは見抜けなかったようですし、見抜いていたとしても、光の巫女のためであれば傅いたことでしょう。かくして、ヴァウスリーが異形であると気づいたうえで……先に述べたように、自らの信念と理想、これまでの過去すらも捨て、毒を以て毒を制さんがため、ヴァウスリーに従うと決めたのです。すべては、光の巫女が生を全うできる世界のため。

ランジートの思惑通り、第一世界だけで考えれば、それが最善だったと考えられます。けれど、水晶公が主人公の召喚に成功したことで、慮外の状況が生じました。かつて諦めた「罪喰い平定による、戦わないで済む世界」を勝ち取れる芽が出てきたのです。しかし、彼の行動は、臣としてのヴァウスリーへの忠誠からか、眼前で命を落としてきた光の巫女達が浮かぶからか、あるいは「父」としての面目が潰された怒りからか、いっそう頑なになっていきます。これも前述のように、停滞に蝕まれていたからなのかもしれません。

幸せであるように、と。

サンクレッドの想いに負けないくらい、ランジートもまた彼女のことを考えていました。戦いのなかで不本意に命を落とすことほどの不幸もありません。そういう意味では、ランジートの選択も理解することはできます。ただ、ランジートの眼に映っていたのは、あくまで「光の巫女」。実は星の意志によって別世界から転生してきた女性の生まれ変わり、なんて事実を知る由もない以上、近視眼的になってしまうのは致し方ありません。ですがやはり、一人の少女や個人としてではなく、不可思議で不憫な「光の巫女」としてだけ、彼女の存在を認識していたように思うのです。それも悪いことではないけれど、家族として正面から向き合う姿勢ではないことは確かです。

彼がサンクレッドに打ち勝っていれば、停滞した世界で、そうして揺蕩うことも許されたでしょう。けれど、ほかでもない光の巫女本人の意志によって、彼の描いた理想は否定されます。導いてきた筈が、その道には進まない、あなたの手は取らない!との決別。さらには、光の巫女と共に在り、彼女が歩みだすきっかけを与えたサンクレッドに、保護者として、武人として敗れます。

我は、人として、あの男に敗した。なればこの身は、ただの兵器よ。ただ滅し、ただ殺し、ただ朽ちゆく……。貴様の命も、刈り取ろう。

我はユールモアの理想に殉ずる一兵。貴様は、相対する反逆者。構えよ、いざ決着をつけようぞ……!

このセリフに、今のランジートの万感が満ち満ちていて、いささか緊張したのを覚えています。被弾ゼロの圧勝でござったけれども。(ぶち壊し

……さておき。「あの男」とは、言わずもがなサンクレッドです。武人であるからこそ、覆し難い勝敗、雌雄が決した意味を深く理解したのでしょう。父として、サンクレッドに敗れたことを素直に認めます。そのうえで、自らを一兵卒、ただの兵器と名乗ります。そこから垣間見えるのは、父としての在り方、変節してまで従った理想、武人としての威厳、すべての決着をつけんとする姿です。

つまり、死に場所を求めていたんですね。自らの過ちを認め頭を下げる選択肢なんて、欠片もなかったことでしょう。彼もまた譲れない正義を掲げ、それを押し通さんがため、これまで主人公たちの前に立ち塞がってきたのです。しかしながらこの時、彼は自らが敗れることをどこか望んでいたのかもしれません。全霊で戦い、打ち負かされたいと。果たして彼は敗れました。二度に渡って。完膚無きまでと表現するのが相応しい有様です。かくして、ランジートなりの「光の巫女を救う」行動は間違っていた、と突きつけられます。

でも、私は、ランジートは最後の最後に救われたのではないかな、と思っています。

確かに、ランジーと自身の手で、光の巫女を輪廻から解き放つことはできませんでした。しかし、彼の導きに反発してまで、光の巫女が自らの足で自分の道を歩もうとしたこと。彼女の新しい仲間が、自らを超える力を備えていたこと。連中にならば、今の光の巫女たちならば、かつて自身が手放した夢を成し遂げられるかもしれない。光の巫女を、悲劇の運命から解放できるかもしれない……と、希望を抱いたのではと思うのです。もう手が届かなくなった光の巫女の後ろ姿に重なるのは、眩く光る絶望でもなく、暗く停滞した安寧でもなく。並び立つ仲間と共に、闇夜を一歩ずつ先へ進むための、希望の灯火だったのではないだろうか、と。

ランジートはその後、歴代の巫女が眠る墓の前で事切れていたと語られます。今際の際、巫女の墓を前に、彼は何を思ったのでしょうか。願わくば安らかに、希望を抱いて眠りにつけていたらと願ってやみません。

おわりに。

漆黒の反逆者では、それぞれの正義がストーリーの中で色濃く描かれます。光の巫女にまつわる部分で言えば、ランジートの正義、ユールモアの正義、サンクレッドの正義。それぞれの正義が定義されていればこそ、それぞれへの反逆も可能となるわけで、どちらが正しくてどちらが誤り、といった次元ではありません。このあとに待ち受けていたアシエン・エメトセルクとの決戦同様、互いに譲れない正義をぶつけ合い、どちらの道が続いていくか、を問うた一件であったといえましょう。

おそらくは、単なる悪役として歴史に名を残すことになろうと、彼ほどの豪傑ならば、一笑に付すのみかなとは考えます。けれど、ただひとつ。いつの日か、当代の光の巫女……リーンには、ランジートなりに自身を案じてくれていたことを理解してもらえたら、きっと彼の生涯は報われるのかな、と思います。

武人の矜持と、将軍の地位と、己が想いを秤にかけ続け、光の巫女のためにもがき続けたランジート。彼の想いをも受け継いで、ノルヴラントが、光の巫女が幸せであるように、できる限りのことをしていきたいですね、という感じでこの記事おしまいにござる!

 

おまけ

Patch5.1で実装されたメインクエストで以下のセリフが追加され、物議を醸しました。

正直、先の騒乱で我が軍は大きな損害を出したからな。ランジート将軍も、あの後、歴代巫女の墓の前で、事切れている姿が発見されたんだ……。

私個人は、ユールモアで戦いを挑まれて勝利した時点で上記のような結末になるのだろうと思っていましたが、慎重な判断をされる方が多かったのか、彼がどうなったのかを案じる声が多数あったようです。そのため、以下のような蛇足補足が語られています。今あらためて読んでみると、この記事の要約みたいになってござる。

ランジートはある意味、光の巫女に感情移入し過ぎてしまったキャラクターで、本来であればクリスタリウム側にいてもおかしくないような武人でした。ただ、世界のために何度も転生を繰り返すミンフィリアを本当の娘や孫のように想ってしまい、自分の思想とはまったく異なるヴァウスリーの政策にのってでも転生する少女の悲劇を止めようとしたんです。

しかし、そのミンフィリアが鎖を断ち切り、自分で前に進もうとしたこと、そしてそれを導いていくサンクレッドに自分が武でも負けたことによって、彼は自分の思想は間違っていたことを悟ります。最後に残ったのは武人としての誇り。だからこそ、そのすべてを打ち砕いて欲しくて最後に光の戦士と戦ったのです。

彼は死に場所を求めていたのだと考えていて、ランジートはこれ以上生き延びようとも思っていませんし、僕たちも彼にさらに汚名を着せるようなことはしたくありませんでした。(出典 – 4gamer)

……うむ。このインタビューを元に記事を書いたのでは、と言われかねないレベルで解釈の一致にござるな……₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎

ですが、こうして細かく状況を整理することで、より深く納得できるものもありましょう。なにより私自身はよく整理できた!本記事をそんな感じで用立てていただければ幸甚にございます、なんてところであらためておしまいにござる!

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コメント

    • 行きがけのナマズオ
    • 2020年 8月 11日 9:55am

    毎回熱量高い文章公開ありがとうございます
    超える力が古代人(オリジナルアシエン)準拠ということなので、歴代光の巫女は胎児からの転生というより自我が固まる以前に憑依の可能性が高そうな気もします
    あとコルシアの木人討滅エリア名が「娘たちの舞踏場」なんですよね、もしかすると木人の数だけミンフィリアが存在したのかなとも考えたり

      • 松乃雪
      • 2020年 9月 04日 7:58am

      ミンフィリアの代替わりシステム、謎が多いところですが、またどこかで語られるのかなー。漆黒秘話などで出てきたら嬉しい!憑依だったとすれば「ある日突然、自分の娘の髪色と目の色が変わる」みたいな伝承が生まれてもおかしくなさそうですよね。
      そして娘たちの舞踏場、お気づきのようでとても嬉しいです₍՞◌′ᵕ‵ू◌₎ミンフィリアを指していない可能性もありますが、おっしゃっている通りに代々で合計10人(当代を含めず?)である可能性もありますね!

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